【前回の記事を読む】「自分の地図を作れ」救急車機関員がカーナビを信じない理由

スキャンダルの真相

署に戻ると、夕食の支度が出来ていたが、その前に、救急車に積載する資器材の補充をしておかなければならない。

予備の酸素マスクやガーゼを抱えて車庫に戻ってきた舞子は、救急車が車庫にないことに気づいた。消防署の裏庭で、水上が救急車にガソリンを入れていた。消防署では、緊急車両の燃料補給のためにガソリンスタンドを併設している。

長時間の災害活動に備えて、燃料は常に満タンの三分の二以上を入れておかなければならないといわれている。たいてい、非番日の朝に燃料補給をするのだが、今日のように出場が多い日は、夕食前には既にガソリンが半分以下になっていた。

「水上さん、燃料補給するなら声かけてくださいよ。新人機関員なんだから、一人で車を動かしたら危ないじゃないですか」

実際、車両を動かすときは、周囲の安全確認のために隊員を車両誘導員として配置しておくのが原則である。

「……赤倉」

舞子に声を掛けられ、水上が振り向いた。夕暮れどきで、白い救急車がオレンジ色に染まっている。

「……正直に、聞かせてほしい」

「な、なんでしょう」

「……岩原士長の運転と、俺の運転は、どう違う?」

「……うーん、では、正直に、言いますとですね……。岩原さんの場合は、ちゃんと救急車のバックドアが建物の入り口に来るように停まってくれるので、すごく活動しやすかったですね。あと、停車するとき、必ずタイヤをまっすぐにしていたから、現場を出発するときにスムーズに発進するんで、余計な振動が無かったですね。あ、あと、車内のエアコンの調整とか、換気とか、隊長が指示しなくても私たちが活動しやすいようにいつの間にか整えてくれていましたし。なんか、安心して乗っていられましたね」

「……そうか……。やっぱり、俺は、まだまだだな。……っていうか、お前、遠慮がないな……」

「だって、正直に言えって言ったじゃないですか。あ、でも、機関員が水上さんになってから、良かったことがあります!……看護師さんからの、差し入れが増えました!」

事務室の窓が開いて、菅平が顔を出した。

「おーい、二人とも、夕飯が出来ているぞ。次のお呼びがかかる前に、自分たちも燃料補給しておけよ」

深夜四時。次の指令が入った。舞子が仮眠を取ろうと寝室に入ったのが二時過ぎだから、二時間も休めていない。傷病者は五十二歳女性。既往歴に高血圧がある。突然の激しい頭痛で、目が覚めたという。同年代の夫が、心配そうに見守っている。

「バットで殴られたような、痛みでしょうか?」

「……はい、そうです……ウウ」

突然の激しい頭痛で疑わなければならない救急疾患といえば、くも膜下出血である。舞子は、教科書に「突然の、バットで殴られたような激しい頭痛」と書かれていたことを思い出し、そう尋ねた。バットで殴られた経験なんてないだろう、と教科書を読んで思っていたが、本当に傷病者はそう思うのか、と勉強になった。

「よし、脳神経外科で手オ術ペ対応可能な病院を探そう」

菅平の指示で、舞子と水上が病院選定と搬送準備を始める。……傷病者は、都立病院の脳神経外科に収容された。

「救急隊さん、CT見ていく?」

医師に声を掛けられ、菅平と舞子は傷病者を乗せたストレッチャーと一緒に、CT室に向かった。

「……ここ、白いですね」

菅平が医師に声をかける。CTでは、脳の溝の形が白く映っている。CT上の白い部分は高吸収域と呼ばれ、出血の特徴である。「SAH(Subarachnoidhemorrhage:くも膜下出血)だ」医師からの答えは、現場の救急隊の判断が正しかったことを裏付けた。くも膜下出血が疑われる傷病者の搬送で最も重要なことは、再出血の防止である。再出血は発症後二十四時間以内が最も多く、その場合は予後が不良となる。再出血の誘因となる血圧上昇を防ぐため、少しの刺激も許されない。安静搬送が最優先だ。

そういえば……。

舞子は、搬送中に全く振動が気にならなかったことを思い出した。今回、再出血を防いだのは、水上の車両運行が功を奏したのに違いない。菅平と舞子はくも膜下出血が疑われる傷病者への対応について話しながら、病院の自動ドアを出た。駐車場に向かおうとした菅平は、病院の駐車場に停まっている救急車を見て、一瞬立ち止まった。

「もうちょっと、院内で救急活動記録票を書いてから引き揚げようか」

そう舞子に声を掛け、回れ右をして再び院内に入っていった。明け方、五時。病院の駐車場に停まっている救急車の運転席で、うつらうつらと居眠りをしている水上の姿があった。

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救急機関員は、救急隊の一員として傷病者の救護にあたるほか、救急車の運転や整備を担当する隊員のことです。救急車は、道路交通法で定める「緊急自動車」にあたります。赤色灯をつけ、サイレンを鳴らしながら運転する「緊急走行」を行うためには、消防機関で行っている研修を受け、緊急走行の特例といわれる独自のルールを学ぶ必要があります。救急車は車体も大きくなく、「普通自動車」の免許で運転できるのですが、機関員になるための研修を受けるには、普通自動車免許を取得して通算二年以上経過しているという条件が必要です。「サイレンを消してきてください」などとリクエストする通報者もいるようですが、緊急走行時はサイレンを鳴らし、赤色灯を点灯させなければなりません。「だったらタクシーを呼んでください」という気持ちになってしまうこともあるのです。