【前回の記事を読む】「くやしさ」「みじめさ」「落ち込み」を子どもに与えるワケ

三十六 「丁寧な関わり」より「丁寧な見方」

教育者が「子ども」に関わるとき、「丁寧さ」が大切です。ただ、「何を丁寧にするか」が問題です。

「関わることの丁寧さ」はもちろん大事ですが、その「子ども」が教育者から「丁寧さ」を求めていない可能性もあります。にもかかわらず、「丁寧に関わることが良い」と決め込んで教育をすると、ますます「子ども」との溝は深まるばかりです。

そんな光景を見ると私は「もう少し子どもを丁寧に見ていきましょう」とアドバイスします。

何度も言うように、私は「子ども」の気持ちを抜きにして教育はありえないと思っています。だから、まず「子ども」の今の状態をしっかりとつかみ、そのなかでどう関わるのがその「子ども」の成長につながるのか、それを追求していくことが「子ども」を支援する教育者のすべきことなのです。

「関わる」ことに関して、気になることの一つに、教育での「子ども」との距離があります。近すぎたり遠すぎたりの両極端のパターンです。おそらくその教育者は「一生懸命」なのだと思うのですが、その「子ども」との関わりが極端に偏ってしまっているのです。「一生懸命」のポイントをどこに持って行くのか、どこに持って行かなければいけないのかは、やはり目の前の「子ども」をしっかり丁寧に見ることが重要で、そうすれば、おのずとどこがポイントなのか見えてくるはずです。

しかし、これがポイントだと思って関わったときの「子ども」の自然な姿を見たとき、その姿が思うように変わっていなかったときは教育者も素直に反省すべきです。それを自分の教育を受け入れなかった「子ども」のせいにしたり、自分の教育以外の所に原因を持って行っても何の解決にもなりません。やはり、常に「丁寧に子どもを見て」その上で「丁寧な関わりを持つ」ことが、「子ども」の成長を促していくことにつながっていくのだと思います。

丁寧な見方があって丁寧な関わりがある。その逆は真ならず

三十七 「負けたくない」気持ち

「子ども」を教育していて、「ここが勝負どころだ」というシーンにたびたび出くわします。

そんな、「ここで力が発揮できれば目標が達成できる」とか「ここで勝てれば次のステップに勢いがつく」といったようなとき、教育者は「子ども」にどんな言葉をかければいいのでしょうか。

私は過去においてさまざまな場面でさまざまな言葉がけをしてきましたが、最近は「負けないようにしよう」という言葉がけが多くなったように思います。この「負けない」というのは、相手に対してだけではなく自分自身に対してであったり、過去の自分であったりとそのときどきで意味合いが変わってはきますが、まずは相手に向けての気持ちよりも自分自身の気持ちをコントロールしていこうという意味合いが大きいのです。