教師と生徒の関係は終わったのか、疑念の塊を一刀両断にそう言って立ち上がると、ポケットの中から作業用手袋を取り出し、ツルハシを握り早速発掘作業を開始したのだった。

明日美も食べ終わった弁当を片付けツルハシを握り加勢する。

おおよそ40メートルのこの墳墓は、古墳時代初期の前方後円墳によく見られる、前方部が後円部より細くなって湾曲した、バチ型と呼ばれている形体のようである。

大き過ぎるでもなく気品が感じられ、実に美しく表面は祠にあったものとは違い、特に白い厳選された葺石で覆われていた。その下には、鍾乳石を砕いたこぶし大で、一般的なものより小さな礫石(れきいし)が確認でき、中に石筍や、氷柱石など様々な種類の鍾乳石の混入も見分できた。

築造にあたりこの場所で入手しやすい石材を使い、それを積み重ねた構造の、積石塚古墳と思われる。

おそらくは、ここに来るまでの通路を造った際に出た廃石を使用したものと考えられ、まさに理にかなった構造をしている。さまざまな見解があるが、いうなれば積石式バチ型前方後円墳とでもいったところであろうか。

「こんな石作りの古墳ってどっかで見たよね」

「覚えていたか、高松市の石清尾山(いわせおやま)だ。景色のいいところだったなぁ」

二人はこの積石塚の古墳も香川県にある石清尾山古墳群で見識があったのだ。

※本記事は、2021年8月刊行の書籍『魏志倭人外伝』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。