言葉よりも、まずは行うこと

孔子(こうし)門下生(もんかせい)の中に、(ちゅう)(きゅう)という(やさ)しい心を持った弟子(でし)がいました。(ちゅう)(きゅう)弟子(でし)たちの中でも、思いやりの心があふれていると評判(ひょうばん)で、(だれ)からも一目(いちもく)おかれていました。ところが、人前(ひとまえ)に出ても多くをしゃべらず、とても口下手(くちべた)(ゆう)(めい)でした。弟子(でし)たちの間でも、「(ちゅう)(きゅう)(じん)の心を()につけたすばらしい人徳者(じんとくしゃ)だと思うのだが、どうにも人前(ひとまえ)で話すのだけが下手(へた)で、もったいないところだ」と(うわさ)されていました。

孔子(こうし)はそのような弟子(でし)たちを(いさ)めて言いました。「人前(ひとまえ)で話すのが上手(じょうず)かどうかは、関係(かんけい)ないのだよ。人の表面(ひょうめん)だけを見てはいけない。話すのが上手(じょうず)すぎると、かえって(にく)まれたりするものだ。話が上手(じょうず)下手(へた)かは、その人の(とく)とは関係(かんけい)ないし、むしろ話が上手(じょうず)で、言葉が(たく)みな人は、口先(くちさき)ばかりで(じん)の心が(うす)いものなのだよ」

それを(となり)で聞いた弟子(でし)司馬(しば)(ぎゅう)は、(かんが)()んでしまいました。「では(とく)のある人とは、いったいどういう人であるべきなのでしょうか」と師匠(ししょう)に聞きました。「(かる)はずみにしゃべらず、言葉を慎重(しんちょう)に選ぶ人です」と孔子(こうし)は答えました。司馬(しば)(ぎゅう)(つづ)けて聞きました。「あまりに慎重(しんちょう)すぎる人は人徳者(じんとくしゃ)と言えないのではないでしょうか」

孔子(こうし)司馬(しば)(ぎゅう)に答えました。「(とく)のある人は、実践(じっせん)することの(むずか)しさを知っているのです。たとえば、自分(じぶん)人生(じんせい)実践(じっせん)していないこと、やってもいないことを、自慢(じまん)げに話すようなことはしないものです。むしろ話すことには慎重(しんちょう)になるものです。言葉よりも、まずは行うこと。実際(じっさい)に行って体験(たいけん)することをまずは優先(ゆうせん)し、その体験(たいけん)から学んだことを大事(だいじ)にしているのです。いままで、理想(りそう)人徳者(じんとくしゃ)とはどうあるべきか、その人物像(じんぶつぞう)(かんが)(つづ)けてきたけれど、意志(いし)(つよ)く、(かざ)り気がなく、実直(じっちょく)で、口数(くちかず)が少ない人こそが、(かぎ)りなく人徳者(じんとくしゃ)に近い人と言えると思うのです」