【前回の記事を読む】海底の竜宮城へは行っていない…?浦島太郎の意外な真実を語る

雪中行軍の怪

二月の終わりだっただろうか、まだ携帯電話もGPSもない頃の話である。滋賀県は多賀のある山に、「河内の風穴」という本格的な洞窟があるらしいと聞いて、一人で出かけた。

バスを降り、このあたりかなと見当をつけて山に入ると、想像以上に雪が積もっていて、はじめは雪の中を進むことが何やら楽しかったのだけど、やがて腰を超える積雪となった。一歩を進めるのも大変で、足を引き抜くのも一苦労という状態になってきた。気を抜くと靴だけ穴に残ったりもする。もう楽しいどころの話じゃない。おまけに見えない地表面には雪解け水が流れているらしく、足先は凍りそうに冷たい。

見渡す限りの雪の中では、腰を下ろして休むこともできない。道であるかどうかさえわからない。しかも完全に一人きり。そもそも雪山に入るなんて思ってなかったから、近くのコンビニへ行くような服装で手にはビニール傘一本。まるで裸の大将である。体力はどんどん消耗し、眼鏡は汗でくもり、はあはあ言いながら一歩一歩進んでいた。

その時突然、急激に腹が減ってきた。これまでに経験したことがないような異様な空腹。冗談ではなく、もう死ぬんじゃないかと思った。

「な、何か食べるものはなかったか」と思った時、鞄の中に多賀大社でお土産に買ったまんじゅうがあることを思い出し、包装紙を破り捨ててむさぼるように食った。すると、恐怖を伴うような空腹は跡形もなく消え去った。結局洞窟を見つけることはできずに帰ったのだが、生きて帰れただけでもよかったと大袈裟ではなく思った。

何日かたって、家でたまたま『日本妖怪大事典』を眺めていたときに、ヒダル神というのを見つけた。昔、峠で餓死した旅人の霊が妖怪になったもので、そこを通る旅人に取り付くと書いてあった。そして、この妖怪に取り付かれると急激に腹が減り、やがて餓死するとあった。

これだ、と思った。絶対にこいつのしわざだ。危なかった。もうちょっとで殺されるところだった。助かるためには何か食べればよい。何もないときは木の葉でもよい。それもないときは、手のひらに「米」と書いて食べる所作をすればよいそうだ。