駅員が戻り、三人がそれぞれ言葉を交わしてお辞儀をしながら離れて行く。女性が携帯で誰かにメールを送ってから歩き出した。佳奈は誰もいなくなった駅員室の前を茫然と眺めていた。まるでショートムービーでも観たような感覚で、あっという間の出来事だった。誰かの事が、こんな風に気になって仕方がないこの感情を、もうずっと忘れていた。

そしてもう一度駅員室の窓の下を見た時、そこに茶封筒を見つけた。さっきの女性の忘れ物だった。慌てて窓口まで行き、茶封筒を手に取って見ると【片山法律事務所】と書かれてあった。佳奈は急いで女性の方へ走り出した。

足早に歩く女性の後ろから、佳奈は思い切って声を掛けた。「あの、すみません」「はい」と女性が振り返る。背が高くてほっそりとした外見に似合わず、はっきりした声だ。髪をハンカチで拭きながら、声を掛けてきたのが女子学生とわかると、女性は手を止め一瞬キョトンとして、そしてニッコリ笑った。

「あの、これ……」

佳奈は少し雨に濡れた茶封筒を見せると、「あっ! 大変。ありがとう」そう言いながら受け取り、ハンカチを裏返して今度は茶封筒を拭き始めた。化粧をしているのだろうけど、スッピンになっても変わらないだろうな、と思うほど透明感のある肌はとても綺麗だった。

「あの……さっきの男の子、知り合いですか?」

佳奈は自分の口から咄嗟に出た言葉に驚いて、思わず手で口を塞いだ。なぜそんな事を聞いたのか、どこからそんな底力が湧いたのか、自分でもわからなかった。緊張と恥ずかしさで、指先がジンジンと麻痺(しび)れてくる。女性が一息ついて何かを言いかけた時、駅の外で地響きのようなゴロゴロッという音がして空がピカッと光った。暫くして、ドーンという大きな音がして二人は肩をすくめた。またピカッと光って、今度は直ぐ近くでバリバリっと大きな音がして、二人は思わず手を取り合った。構内がざわつき始めた時、

「皆様にお知らせします。雷による停電の影響を考え、電車の運転を暫く見合わせます。ご迷惑をおかけ致します」

とアナウンスが流れた。二人は、お互いに掴んだ手を見て笑った。

「ねぇ、もし時間大丈夫ならお茶でもどうかな? 封筒のお礼もしたいし」

女性が、佳奈の後ろの喫茶店を指さした。今会ったばかりのこの人に、佳奈はとても不思議な魅力を感じていた。自分も、もう少し話してみたいと思った。佳奈は頷いて、女性の後をついて歩いた。

二人は店の一番奥の窓際のテーブル席に案内された。急な運転の見合わせで店内が一気に混み始める。佳奈はテーブルに置かれた、女性のコーヒーの波紋を見ていた。

「寒くない? お腹空いてる?」

髪も服も自分の方が濡れているのに、佳奈の心配をする女性の言葉に少しホッとする。

「大丈夫です」

「良かった。私、片山里香」

そう言って、里香は名刺を差し出した。佳奈は慌てて名刺を受け取り、「弁護士さん……なんですね。あっ、私、山本佳奈です」と会釈した。

「佳奈ちゃん? 宜しくね」

そう笑顔で言うと、コーヒーを一口飲んだ。よく見ると、左目の下に泣きぼくろがあった。