【前回の記事を読む】【歴史】街の起源はローマにあり?英国北東部・ヨークを訪問

1998年10月10・11日(土・日)ノリッジ紀行

-中世の商業都市-

金曜日にロンドン監査室のスタッフとパブに行き今週末どこに行こうかと聞いたところ「ノリッジは中世イングランドでロンドンに次ぐ都市で……」と勧められました。「あれっ、先週行ってきたヨークがイングランド第二の都市と聞いたけど」と反論しましたがどこの国でも「……に次ぐ第二の……」はたくさんあるようで、ヨークが政治都市とするとノリッジは商業都市で13・14世紀にフランドルへの羊毛輸出で栄えましたがヨークと同様産業革命には乗り遅れ昔のままの街並みが残っています。

ロンドン北東115キロ、列車で約2時間イースト・アングリアと呼ばれる地方の中世からの城塞都市ですが、大学町ケンブリッジがある地方と言った方が分かりやすいかもしれません。ノーフォーク種とかサフォーク種とかの羊の品種を聞いたことがありますが、みんなこの地方の州名から来ています。

土曜日のウォーキング・ツアーでのガイドさんの説明では城壁で囲まれた中世城塞都市としてはイングランドで最大でまた中世以来の建物が多く残っているとのことですが、それでも十分歩いて回れる規模でまた昔のままの狭い曲りくねった通りが多く歩かないと町の雰囲気が掴めません。

最大の観光名所はノリッジ大聖堂でイングランド第二の高さを誇る白い尖塔が印象的です。中世イングランド第二の都市だけあって最盛期には57、いまでも31の教会があり、その多くはイースト・アングリア特産のフリント(火打ち石)でできています。残念なのは博物館等がノリッジ城博物館しかなく展示物の内容も今1つで、他にもいくつか小さい博物館があるのですが10月から3月まで閉館しているところが多く見学できません。

ノリッジは昭文社のエアリアガイド『イギリス』にも載っておらず観光地としては魅力に欠けるようですが、観光客用のお化粧はなくその分鄙びた雰囲気があります。5月のアムステルダム紀行で見所が少ないとお話ししましたが、商業都市・国家は政治文化都市・国家と比較すると後世に残す物は少なくなるようです。

 

面白かったのはこの地方が人種的にも地理的にもオランダとの親近性が強いことで、地図を見ると海を挟んで目と鼻の先ですし17世紀には多くのオランダ人、フランス人を迎えて進んだ毛織物技術をイングランドに移植しようとしました。オランダとイングランドはオレンジ公ウィリアム(イングランド王在位1689年~1702年)のイングランド征服以前からアングロ・サクソン人、ヴァイキングの侵入(イースト・アングリアもデーン人の支配地だったそうです)や低湿地の干拓事業等で関係が深く、言語的にもオランダ語は英語とドイツ語の中間で両国は親戚みたいな物です。

5月のアムステルダム紀行で何ヵ所か博物館、美術館を訪れましたが展示物の説明はオランダ語英語併記でヨーロッパ大陸では英語が一番通用するような気がします。17世紀を過ぎる頃から当時の先進地域オランダから導入した干拓技術を用いてイースト・アングリア東部の低湿地を農地造成しイングランド有数の穀物生産地域となりました。

観光案内書によるとところどころに風車も見えオランダの田園風景そっくりで、はるかかなたから見渡す限り真っ平らな地平線越しに望めるイーリーやピーターバラ等の大聖堂の尖塔は印象的だそうです。今回は列車から田園風景を眺めただけですがこの次はレンタカーでイースト・アングリアをドライブしてみます。