私の都合を聞くこともせず一方的に場所と時間を決められてしまったが、相手は私の状況を知ってのこと、しようがないと納得をして切った。そうか、こないだ浅井に頼んでいたことかと、記憶をはっきりさせて、マグカップのひと口ほど残ったコーヒーを飲んだ。もう冷たかった。

浅井は元ヤクザだが、私にとっての学生時代からの数少ない友人の一人だ。私とのある経験でヤクザに幻滅して浅井は足を洗った。その後、身内の金属回収の手伝いから廃金属取引業を起こし、大阪だけでなく品川区の大森にも二年前に事務所を構えるようになっていた。

私が大阪を離れて以降、会うことはなかったが、昨年、偶然にJRの川崎駅で出会って以来、たびたび私を訪ねてくるようになっていた。先日、ユリのことで私はいたたまれず、恥を忍んで浅井に相談をしたのだった。

ユリが働きに出るようになって半年くらい経ったころから、彼女の態度が段々とよそよそしくなり、帰宅時間も仕事を理由に遅くなった。しばしば日を跨ぐこともある。この正月が明けて松の内も過ぎた寒い夜だった。

輝と夕食をすませ、駅までの迎えの時間の確認にユリに電話をしたが返事がない。タクシーで帰るからと、連絡があるだろうと思っていたが、十一時を過ぎてもなかった。見たい番組もなく仮眠でもして待っていようと寝室に入ると、ふと鏡台の上のビジネス手帳が目にとまった。ユリが朝忘れていったのだ。

何気なく拡げて見ると、いつも挟んでいるはずの私とのツーショット写真が表紙裏から消えていた。知り合ってから十数年、ずっとこの手帳に挟んであったのに、一枚名刺が挟んであるだけ。ここにもユリの心変わりが見えた気がした。

近ごろは仕事の話どころか、家を出てからのことを滅多に話さない彼女のことをただ知りたい。私は自己嫌悪を覚えつつもページをめくってスケジュール欄に目をやった。そこに書かれているメモからユリの日常が少しは想像でき、瑣末ながらも慰めになるからだ。

すると、最近の遅くなった日に限って、タに○の印がしてあることに気がついた。嫌な想像が脳裏を駆け巡る。反吐が出そうな気分だ。私は詮索したい願望をあえて断ち切り、手帳を閉じてあったままの状態にして置いた。もう横になる気も失せ、リビングに戻り自室にいる輝に風呂に入るように促して、夕食の洗いものと翌朝の用意を済ませた。

※本記事は、2021年11月刊行の書籍『わくらば』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。