コロンブスの卵

1969年厚生省が立ち上げたベーチェット病研究班ではその原因解明が進められていた。まず、溶連菌感染が引き金であろうとの仮定の元、水島裕班長はその究明に取り組んだ。任期2年の間に半ば強引に溶連菌感染が原因であるとの結論を出した。

私はその過程を見ており、ああこういうやり方もあるのかと冷めて見ていた。ベーチェット病の病変は無菌性感染であるということは多くの根拠があり、溶連菌感染の決定的な根拠が示されないままの結論であった。

そのあと、島根医大の坂根剛先生が班長となり、免疫の立場から病因究明に乗り出した。私は出番が来たと思い、本気で取り組む決意をした。今までの研究プロセスを見ると、出来上がった病変部の生検材料を用いてなされ、好中球以外には認められないということで好中球病として広く認識されていた。

私は病変の本質を見るには、その起こり始め、即ち病変の初期の初期に患部で何が起こっているのか観察しなければならないと考えた。加えて外部環境が働く口腔内アフタなどの開放性病変部は避け、ターゲットを結節性紅斑の初期に絞った。外来で患者が来ると紅斑はと尋ね、出来る限り初期の紅斑を追い生検を行った。

当初は標本の大部分は好中球であった。これらの紅斑は出来て2~3日経過していた。さらに問診を重ねるうち、昨日はなかったが今朝目覚めたら出来ていたという紅斑に遭遇した。表面はうっすら赤みを帯び、触れるとかすかな硬結を感じた。

当時、青井克行先生にこのテーマを与えており、私の外来で見つけた超早期例の生検検体をホルマリン固定し、ヘマトキシリン・エオジン染色で判定する仕事をしていた。そんなある日、青井先生が私に「先生、標本にはリンパ球しか見られませんよ」と報告に来た。

私はそれを聞いた瞬間、してやったりと思った。顕微鏡に目をやり、生検標本を綿密に観察した。標本には見事なリンパ球の集簇は見られたが好中球は観察されなかった。私もこの時ばかりは心が躍り、ベーチェット病の起こり始めはまずリンパ球ありきだな、それから何らかの機序で好中球が集まり、好中球病として完成していくに違いないと考えた。

その後同じような検体を4~5名の患者より得た。すべて同じ所見であった。加えて、紅斑発症24時間前後で好中球が急速に病変部に集簇することも確認した。

超早期例を診るということは至極当然なことであるが、過去誰もやったことがなかった。そのような症例を集められる環境にはなかったのであろう。私共のグループはそれをなしえたのである。今にして思えばコロンブスの卵と言えるものである。