【前回の記事を読む】ワイン片手にバスク料理を堪能するも…予想外の問題が発生!

「ゲルニカ」との出会いの前に

十七日朝は爽やかに明けた。朝食を済ませてこの日のプランを検討した。ピカソの「ゲルニカ」を外すわけにはいかない。しかし、その前日の夜に、娘がPCに向かって何やら真剣に取り組んでいた。十八日のドバイ行きフライトが満席で乗れないかもしれないと心配しているのだ。

そうなると大変なので、この日午前中はフライトの席確保のことに時間を費やした。マドリッドから直接ドバイに行く便の確保は難しいことが分かったので、マドリッドから一旦リスボン空港へ行き、そこからドバイ行きのフライトに乗り継ぐことが決まった。移動時間は長くなるが、リスボン経由となることに私もゆりも興味を持った。

その理由は、四十年も昔のことになるが、ブラジル・サンパウロに駐在したことのあった私達は、今もポルトガル語の記憶があったので、懐かしさを感じたからだ。娘もサンパウロ生まれだったから、遠回りになることは気にならず、三人ともむしろ嬉しい気持ちになった。

それが決まったあと早速街に繰り出した。昼食に「パエリャ」を食べたいと思い有名なレストランに行ったが、その日は日曜日であったため予約のない私達にはチャンスはなかった。

近くにもう一軒有名なレストランがあるとの情報を頼りにして歩いたがなかなか見つからず、たまたますれ違った女性に尋ねたところ、その女性は英語圏の国からの観光客であったが、私達と同じレストランを探していたところだったと言う。探し当てた店は日中閉鎖しており、夜しか営業していないという情報をくれた。

取り敢えずそのレストランのある場所に行ってみた。やはり開いていなかったが、営業時間案内の張り紙があり、夜の開店時刻は八時と書いてあった。

庶民食堂にて

その場を離れようとしたとき、隣の妙に懐かしい感じの庶民食堂風のレストランが目に留まった。この界隈では珍しく料理の写真を店先に展示していた。何を食べたら良いか考えるのに便利だ。面白そうだなと思ってドアを開けて入ってみると、ウェイターが「奥の部屋にテーブルがあるよ」と笑顔で案内してくれた。

テーブルはほとんど埋まっていて賑わっていたが、確かにたったひとつだけ空いていた。日曜日の午後の食事を楽しむたくさんの人が、わいわいがやがやとおしゃべりを楽しんでいて、気の張らない居心地の良さを感じさせる雰囲気だった。その部屋の担当のウェイター(彼の名はオスカー)は、実に気さくで私達の拙いスペイン語に面白そうに応対してくれた。料理は期待以上に美味しく、思いがけず楽しい昼食にありつくことができた。