(えっ? 何? 大切な命綱でもある白いステッキを地面から離してしまったら、余計にわからなくなるじゃん!?)

彼の行動が理解できずに、佳奈も同じようにその場から動けなくなった。そして彼のその行動が、何の為のものなのか知りたくて仕方なかった。もしかしたら、彼の事を知りたくなってきているのかもしれなかった。一人で何かを、誰かを、ずっと待っている彼を見ながら、佳奈はあの時トイレで一人泣いた自分を重ねて呟いた。

(あなたも、一人なの……?)

あと一分、あと一分だけ待って誰も助けなかったら彼に声を掛けよう。何か、私にできる事があるかもしれない。と思ったと同時に、もう一人の自分が、

(やめなよ! 何か頼まれたらどうするの!?)

と、強く手を引き留める。佳奈は自問して、腕時計を見ながらため息をついた。

頭と身体の葛藤と闘っていて、何をどうすべきか、脳が言う事をきかない。その時、長い髪に黒いパンツスーツの女性が後ろから佳奈を追い越して彼に近づいて行った。

二十代くらいの落ち着いた雰囲気の女性は、手に持っていた茶色のA4サイズの封筒を脇に挟んで彼と少し話した後、頷いた彼の手を取って自分の腕を掴ませた。そして、乱雑に置かれた自転車の列から離れながら、ゆっくりと半回転して駅の方へ歩き始めた。何かを話し掛ける女性に対して、彼は頷きながらついて行く。

今度は佳奈が一人取り残されそうで、この予想外の展開に足が勝手に動いて二人の後をついて歩いていた。泥水の跳ね上げなんて、もうどうでもよかった。

駅の入り口まで続くバス停の長い屋根も、横からの雨は避けられなくて、彼の右側が少しずつ濡れていく。女性が彼に何かを言って位置を入れ替わった。今度は女性の右側が雨に濡れ始めた。とっさの判断とそれを行動に移す速さに、佳奈は心を打たれた。

女性のその素早い対応と、さっき自分の腕時計で測った一分の迷いが、私とあの女性の何を変えただろう、と想像した。佳奈は自分の足がちょっとずつ二人に近づいて行っているのに気づいて思わず足を止めた。

(このまま進んでどうするの?)

鞄を握り締めて考える。 自分は今、どうしたいのか。興味、本能、時間潰し……、どれも違うような気がして、誰かに相談してみようと思ったけど、

(誰に聞くのよ……)

と佳奈は自分自身に苦笑した。