昔は逆縁の場合は葬儀を行わないとか、家の墓には埋葬しないなどの風習も存在したようで、順縁との相違を示すことによって逆縁の再来を阻止しようとしたのかもしれない。順縁ならば葬列で家の跡継ぎが位牌を持ち、その他の家族が遺影とお骨を持つことになる。

現在でも逆縁の場合には両親は子供の火葬に立ち会わないとか、墓への納骨のとき両親は墓地の入り口でとどまり、他の親族だけで納骨を済ませるなどの風習が残っているところもある。これも逆縁の再来を阻止しようという考え方から来ているものと私は解釈している。

医療技術の進んだ今日で若い人が早死にするのは交通事故とか癌などの難病によるものが一般的にはイメージされる。交通事故はこちらがいくら注意をしていても避けようのないもらい事故もあるだろうから対策は難しいかもしれない。難病の克服は当然のことながら医学の進歩に負うところが大である。

また日本では年間三万人もの人が自殺をするそうだが、最近は世間に名を知られた企業でも「追い出し部屋」などと呼ばれる人減らしのための部署(?)を設けて社員に圧力をかけるところもあるというから、そのような圧力から自殺に追い込まれる若い人もいることだろう。

経済発展のための効率重視の社会では時間的な余裕を持ちにくくなり、競争的人間関係に拍車がかかり、労働者に対するプレッシャーは増大する。そのような労働環境の中で精神的に追い込まれる労働者が増えることは当然の成り行きかもしれない。最初に、あらゆる事象は他との関係が縁となって生起するという仏教の思想を紹介した。

他との関係は順縁と逆縁に分けて考えることができたが、逆縁の場合には人間関係における摩擦が大きいが、その摩擦でも発展の原動力と考えることもできる。私は何ごとも自分でできるだけのことをしたら、後は仏さまや神さまに任せることにしている。

※本記事は、2021年11月刊行の書籍『雑草のイマジネーション』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。