トイレに赤ん坊の死体を遺棄したのは、母親の白鳥茜だった。

茜は、夫との争いや三人の子育て、パートの仕事が重なってノイローゼのような状態だったことや、健一が回収したへその緒から、故意に赤ん坊を遺棄したわけではなく、誤って産み落としてしまったことによってパニックになり、心神耗弱な状態になっていたことも考慮されて不起訴となり、取り調べのため三日間拘留されただけで家に帰ってきた。夫の和夫も取り調べを受けたが、事件発覚までの間仕事で家を空けており、事件への関与は否定された。

健一は、この後も毎月白鳥家の汲み取りに行っていたが、驚いたことにあの母親の茜は、徐々に精神的健康を取り戻していた。そして今では健一に挨拶もするようになった。また子どもたちにも優しく接する明るい笑顔の母親に変わっていった。

近所の話では、あれ以来、夫は出張のない会社に転職し、妻の茜もパートを一日三時間だけにした。そして夫婦で子育ても協力し合うようになり、夫婦仲も良くなってきているとのことだった。また大家も白鳥家に同情してか、借家が事故物件として空き家になるのを心配してかは分からないが、家賃を一挙に一万円下げてくれたそうだ。

「毒を変じて薬と為す」との先哲の言葉ではないが、白鳥家の家庭事情が良い方向に転換されたことは、健一にとってもとても嬉しいことだった。健一は、あのとき、「へその緒」を発見できて本当に良かったと思った。

しかしあれ以来、健一にとって白鳥家のトイレの汲み取り口の蓋を開けることが、トラウマとなって、毎回、脂汗が出て腰と太股の筋肉が痙攣してしまうほどのつらい作業となった。そればかりか、他の家のトイレの汲み取りの口の蓋を開けることも、怖くて仕方がなくなった。

でもありがたいことに、そのうち白鳥家のトイレも大家が費用を出して、下水道につながれ水洗化された。白鳥家の汲み取りがなくなったことで、少しずつ、健一のトラウマも消えて楽になっていった。

そんな事件の思い出を共有した内村も藤倉産業を六十歳で定年退職後、しばらく高齢者施設の送迎バスの運転手として働いていたが、脳梗塞で倒れ右半身不随になって、今は運転手として働いていた高齢者施設のデイサービスに通ってリハビリを受けていると聞いた。

藤倉産業では、その後汲み取りの仕事を代わりにやる人を募ったが、希望者が誰も現れなかったので、それをきっかけに健一がほとんどずっと一人で担当してきた。

市からは作業員二人体制分の委託料が支払われていたうえに、稼働日数が月・水・金の週三日だけで、作業件数によって委託料が、変動することもなかったので、この業務に対する利益率は、会社が他に請け負っている廃棄物収集運搬の仕事などに比べるとかなり高かった。

さらに健一は、あの『赤ん坊の死体発見事件』の頃とは違い、ワープロではなく、独学で勉強してパソコンによるデータ管理や書類作成の仕事もするようになっていた。汲み取りの現場がある日は、現場作業をしてから事務作業をし、汲み取りの現場がない日は事務作業をしながら、人が足りない現場があると運転手や作業員として応援にも行った。