【前回の記事を読む】「竜神を目覚めさせた。見事である。この雨が民を救うだろう」

義仲と行家

「兄者、遂に出陣ですね」

忠信の弾んだ声がそれまでの鬱屈した空気を払った。

「忠信、出立は明日ぞ抜かりなく」

「承知。気持ちが逸ります。有綱殿は合戦の経験をお持ちですね」

「はい。しかし、このたびは合戦の出陣ではありません。あまり逸らないように」

「はい。そうでした。でも、その心構えだけはしておかないと」

「佐藤御兄弟には初めての都ですね」

「伊勢殿は都でも盗賊を働いたのですか」

「人聞きが悪い。私は都では商いをしただけです」

「奪ったものを」

「私は、庶民を襲ったことはありませんし、殿と出会ってからは盗賊から足を洗っております」

「それは失礼つかまつった」

(ここに登場した源有綱は、平治の乱では平家側に加担して、源氏では唯一都に残り、従三位まで昇った源頼政の孫である。頼政親子は法皇の次男以仁王の乱に参加して破れ、伊豆の知行地を失った。拠る地をなくし、頼朝に義経の与力になることを命じられて、郎党の一員になった)

翌日、由比ヶ浜に荷駄隊・護衛部隊が揃った午後に出立したが、行軍速度は遅く、その風聞だけは幾多の口を通し街道を先走った。都に届くころには数万の大軍が鎌倉を出たということになった。噂は京からさらに西に広がり義仲にも平家にも伝わった。双方とも義経という名は知らない。

「何者? 数万の軍を率いるほどの者ならそれなりの実績があるだろう、調べよ」

義仲も平家陣営もざわめいた。特に義仲は狼狽した。

「都を取られる。都に戻る」

義仲は即座に決めた。と言っても、敗戦続きで戦闘意欲を無くした千名足らずの兵力で何ができるか自信がない。やがて、義経が頼朝の弟で奥州から馳せ参じた二十六歳の若者であることが判明した。

「義経。そんな従弟がいたことは聞いていない。これまで戦に出たこともないのか。そんな実績のない若造を指名するとは俺も見くびられたものだ」

そう言った義仲自身まだ当年三十一歳であった。