【前回の記事を読む】ディレクターも絶句、番組打ち合わせで放たれた大御所の一言

リハーサル

リハーサルは私の司会で始められた。婆須槃頭を紹介し、インドでの初の出会い、その時の印象を絡め、対談の形でエピソードをつないでいく。

日本での活動はほとんどが撮られる映画の羅列だ。「山名戦国策」をはじめ予定されている全三本の日本映画を手際よく紹介していく。そして日本をはじめ周辺国の情勢を年代記風に挿入しながら、世界情勢とインド、日本のつながりを要領よく浮かび上がらせていくのだ。

リハーサルで婆須槃頭はしきりに放送局の製作態度に注文をつけていた。公共の電波を使っていながら、国民に戦勝国史観を押し付けるとは何事だ。という趣旨の抗議だった。私との対談でもしきりにディレクターはその方向へもっていこうとしていた。あまりにしつこいので二人はそっぽを向いて対談は中断した。秋山はその都度、三人を懐柔しながらどう結論づけていいやら悩んでいた。

それを見た私は秋山に気を落とさぬようにと励ました。いよいよ、婆須槃頭の歌の日が来た。オーケストラ、男声合唱団が配置につきテストを繰り返した。カメラ位置とカット割りも決まり婆須槃頭が姿を現した。ディレクターと最終打ち合わせで納得した彼はオーケストラの指揮者と握手し、次に男声合唱団とエールを交換した。

まず、テストの第一回目だ。前奏が鳴り響く。次に男声コーラスが悲痛な調べを奏でる。そのあと婆須槃頭がメロディーをハミングで反復しながら登場。そしてやおらロシア語で歌いだす。第二次世界大戦、独ソ戦で散っていったソ連兵への鎮魂歌。

「鶴」だ。


私は 時折思うのだ

あの兵士たちは 血に染まり野辺に斃れて

この土の上には もういない

ある時 白い鶴へと 姿を変えたのではないのかと

はるかな時のかなたから この世の時へと

空を渡り 語りかけてくる

だからきっと人は こんなに哀しく

言葉もなく 空を見上げたくなるのだろうと

飛んでいく 飛んでいく

列をなし 翼疲れはてるまで

霧の中 夕闇の空を

その隊列の小さな隙間は きっと

いつか 私が埋める場所なのだろう

日は昇り 鶴たちが舞い来る

私もまた 藤色の靄の中を 空の下へ

鳥となり 呼びかけるのだろう

地上に残してきた すべてのものたちへ