国田は赴任後、三年生から一年生までの全学生に対して順次、全員の面接をすることにした。医療機関で働いている学生の就労・生活状況、収入状況、寮の有無、夜勤の有無、健康保険の有無などを確認し、学生の満足度や不満など、学生の家庭環境についても詳細に具体的に聞き出そうとしたのである。

国田はこうすることによって、専任教員と学生との距離感を縮め、より親近感を得ておいて卒業後の就職や進学相談を自分を中心に進める狙いを秘かに持っていた。

看護専門学校開設時に設置が義務付けられている学生相談室において、国田の個人面接が行われた。学生一人当たり約十分程度ではあるが、面接順番一覧表を作成し、三年生より開始し、各学生を対象とした個人面接を授業開始前後の約三十分間を利用して実施した。

その結果、国田は所属医療機関によって学生の扱いに差があることを知った。すなわちピンからキリまであり、特に素晴らしい感銘を受けた事例から今すぐに待遇を改善してほしい事例まであった。

例えば、国田のよく知っている村山学校長は六十五歳の耳鼻咽喉科の開業医であるが、子供がいない家庭で、学校長として学校内の情報を知らねばならないこともあり、若い女子学生がいれば家庭も明るく楽しいだろうという思いもあって、第一期生から学生を預かっている。

遠方からの学生はホームシックになりやすいからと言って、九州から来た学生を預かることにした。このようなことから、学生を我が子の如く可愛がって、時には寿司屋に連れて行ったり、レストランや焼肉屋などにも行って食事をしているという。

学生一人では淋しい時もあるだろうと言って第二期生の四国出身の学生を加えて二人の学生を預かり、各学生に一人部屋を提供し、部屋代と一日三度の食事代を含めて一カ月一万五千円という格安料金を引き去るのみで、学生は非常に満足しているという。

村山は大の広島カープファンで、学生を広島市民球場に連れて行き、学生にとっては初めてのプロ野球観戦をさせてくれたこともあるという。初めてプロ野球を観て独特の応援の雰囲気と臨場感が今も忘れられないという学生もいた。

国田が感銘を受けた別の医療機関は、村山と同年代の広ひ ろ田た産婦人科医院だった。村山と同様に第一、二期生を各一名ずつ預かっていたが、昨年の秋に脳梗塞で倒れ、休院することになった。発病後半年になるが現在リハビリ中で、医院再開のめどは立っていない。

しかし、学生の処遇は仕事はしなくて良い、寮にいても良い、四年間預かるという約束を保護者と交わしているので働かなくても現在も給料を支払っているとのことであった。医者嫌いの国田は、「それは嘘でしょう!」と問い質したが、本当のことであったので驚愕した。

そうかと思えば、病院では看護助手は貴重な存在で、夜勤が週二回もあり、勉強ができる時間が少ない学生もおり、お金よりも時間が欲しいという。寮が二人部屋で馬が合わないのでいつも自分が譲っている学生もおり、これがストレスになるということなど、国田はプライベートの話を含めて種々雑多な情報を得たのであった。