ニヤッと白い顔が笑った。額にかかる髪をかき上げた。

「広瀬の腕がいいのは知っているよ。ただ今のままじゃだめだ」

「武史みたいにはいかないよ。後期臨床研修だって本当は後二年。僕もここでやりたい。でも、武史と比べられたら……お金は欲しいからさ」

武史が学生時代から成績が抜きんでていたことは誰もが知ることだった。普通の人間が努力をする程度のことで敵う能力ではなかった。医師の国家試験も医学部最後の年には合格していたし初年度臨床研修も、たぐいまれなる才能だった。なのに、放射線医師となる道を選び、メスを握ることの少ない医師になることを周りは驚いた。

そんな武史にも人知れず悩みがあり、非常なストレスを感じていることをこの広瀬は知っていた。親友とは違う、何か主従関係のような長い友達であった。両親の子供ではない、実の親を知らないということを打ち明けた唯一の存在が広瀬だった。武史はただ、医師としての復帰を急いだ。早く普通に歩けるようになるため、額に汗を浮かべて懸命に足のリハビリと、アメリカ行きへの準備に追われていた。まるで現実から逃げ出すかのように。

「俺は日本なんかにいない。誰も知らない所で一人で生きていくんだ」

自分の出生の秘密が一つ明らかになっただけで 、見つけた傷はほんのほころびに過ぎない。ということを武史はこの時点では認知できなかった。更なる苦悩が武史をもっと追い詰め、人知を超えた苦しみが武史を狂わせていくということを。この時点では武史はまだ悪魔に魂を売っていなかった。

それから数日後、顔が同じタケルという人物は、意識は戻ったものの事故前後の記憶がないということを秋山医師から聞いた。ただ、武史にとって、彼の記憶がないということは好都合だった。たった一度だけ父親とともに見舞いと詫びに弁護士とともに言った時も前髪を下ろして黒ぶちの眼鏡をかけてひたすら下を向いていた。タケルの母に武史の容姿のことを気が付いてほしくないと思っていた。

ただ、武史の父は包帯が頭部だけのタケルの顔を見て、とても驚いた表情を浮かべていた。まったく同じ顔の二人に。武史の父が若い頃に踏み込んではいけない神の領域で行った研究の結果 、何が起こるのか。どれだけこれから救済を求めても取り返しがつかない事 、この時点では嫌な予感がしていた。

※本記事は、2020年7月刊行の書籍『双頭の鷲は啼いたか』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。