第二章 奔走

【7】

「不幸中の幸いで、水道水から匂いがするようになってすぐ、北部地区の全住民に使用禁止を通達したんだ。ちょっと時間がかかっけど、みんな那珂川の上流で汲んできた湧き水を使ってっから、まずは心配ねえべ」

宮神は田村と顔を見合わせて、胸を撫でおろした。

「原因は産廃じゃねえのか」
「事実関係はまだはっきりしていませんが、早急に調査します。渕さん、住民のみなさんにこの事実を伝えていただけますか」
「任せとけ」

水質検査の結果が出てからは怒涛の忙しさで、宮神は三日間自宅に帰れなかった。宮神が地区長の家を訪れた翌日、諏訪間商会に県の立ち入り検査が入った。結果、汚水の適切な処理がなされていなかったため、地下水が汚染されてしまっていたことが明らかになった。

警察は十日ほどかけて諏訪間商会の代表を探し出した。供述によると、諏訪間商会は経営が芳しくなく、ペリアス環境開発と合併して露命をつなごうという魂胆だったようだが、その目論見はあえなく潰えた。警察は秋山との約束を守り、記事はユニオン通信社のスクープとなった。

宮神は特ダネを摑んだという昂揚感をしばらく味わった。だが、今回の事件を秋山のアドバイスなしでスクープできなかったことに気づき、まるで自分が手柄を立てたかのように興奮していたここ数日が、急に恥ずかしくなった。

それでも秋山は、宮神に本記と雑記を任せてくれた。むろん、何度も書き直しをさせられる羽目になるのだが、宮神は秋山の度量の大きさに感謝した。

すべての加盟社はこの事件を朝刊の一面で取り上げ、町には後追いのマスコミが殺到した。彼ら彼女らはわが物顔で町に居座り、道端にゴミを捨て、好きなだけ住民を追い回した。報道は一昼夜にして過熱したのだ。

ただし、秋山が機転を利かせて住民の名前を記事中に出さなかったため、個人がマスコミから執拗に追い掛け回されるといった被害は回避できた。

当初、宮神は第一報の雑記で青木の名前を記事に出す予定だった。事件の概要を率直に伝える本記とは異なり、被害者の声などを織り交ぜて臨場感を伝えるのが雑記の特色だ。今回の雑記では、住民の談話として青木のコメントをいくつか織り交ぜ、リアリティのある記事に仕上げたつもりだった。

しかし、秋山からはストップがかかり、青木の名前は匿名となった。「報道による被害は可能な限り避けようとするのが記者の鉄則だ」いつも秋山からかけられている言葉だが、このときほど胸に沁みたことはなかった。宮神は、記者を続ける限りこの鉄則を守ると強く心に誓った。

※本記事は、2019年10月刊行の書籍『AMBITION 2050』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。