洗礼

さて地下鉄に乗ろうと改札口に来た。そこでちょっとしたトラブルがあった。システムは東京とは若干違いはあるが、自動改札機を通るのは同じ。だがチケットの挿入口が右なのか左なのかまごつくような位置にあった。

迷っていると親切な人(実は親切な人ではなく女スリだった)が私のチケットを取り、正しい挿入口に入れてくれた。私の前のバーがスッと開いた。

その女には仲間がいて、別の一人がうろうろしている私の左のポケットから「あるモノ」を掠め取ったようだった。

「あるモノ」とは実は財布でもお金でもなく、ホテルでもらった観光地図だった。それを折り畳んでズボンの左のポケットに入れていたのだが、それをお金と思って狙ったのだろう。すると、その親切な(ではなく悪い)女は諦めきれなかったのであろうか、私達のあとに付いてきていた。睨みつけると「チッ!」と無声音を鳴らしてその場を去って行った。

私達は仕事の関係で長い間ブラジルに住んだことがあったし、ラテンの国を随分あちこち旅行してラテン人の性格やら、生活の仕方などを経験していたから、対応すべきことが身についていた。それが幸いしたのかもしれない。ラテンの国での共通点は、スリを働く人間が多いこと。ここマドリッドもその例外ではなかった。

プラド美術館

無事にプラサ・デ・エスパニャ駅で地下鉄3号ラインに乗り、プエルタ・デル・ソル駅で地下鉄1号ラインに乗り換えてアトーチャ駅で下車。アトーチャ駅からプラド美術館へは徒歩で簡単に行くことができた。

プラド美術館の周りには、既に無料開館を知っている人達で長い行列ができていた。その列に私達も並び、街ゆく人たちを見ながら話をするのも楽しみのひとつだった。時間の経過も気にならず、いつの間にか入口に近づいていた。

ここでの目的の第一は、やはりフランシスコ・デ・ゴヤの作品「裸のマハ」と「着衣のマハ」の二作品を見ることだ。その展示室に到着するまで館内は多くの人で混雑しており、なかなか前に進まない。やれやれ疲れたなと思い始める頃にやっとその展示室に着いた。

私は十八年ほど前に仕事でマドリッドに来たことがあり、そのときにふたつの絵を見たことがあったが、ゆりと娘には初めてだ。二人はマハの二枚の絵に感動してなかなかその場を離れようとしない。

その二枚の絵を見終わった時には既に閉館時刻が迫っており、そのあとは何を見たのか思い出せないくらい足早に展示室を回らなければならなかった。閉館時刻が近づくと、入場者が一斉に出口のほうに向かうので大変な騒ぎだった。

館外に出て気づいたが、私達が出たところは入館した入口とは丁度反対の方角であったため、大きな美術館の建物をぐるっと回って元の入口のほうに戻らなければならなかった。

入館の時に預けた手荷物を受け取る必要があったからだ。入口から外に向かって出て来る人波をかき分けながらやっと受け取り口に辿り着いた。無事に手荷物を受け取ってプラド美術館を離れた。

既に時刻は八時を回っており、辺りは真っ暗。暗い夜の街に街灯やネオンの照明がきれいに映えていた。

※本記事は、2021年10月刊行の書籍『一族の背負った運命【文庫改訂版】』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。