【前回の記事を読む】天地が逆転したように変貌した姿とは?解放へ躍動する上海へ

秦始皇帝以前(統一国家成立前のあらまし)

シナを中国として統一したのは秦の始皇帝(BC二二一即位)であるが、統一前の混乱時代を簡単に説明して、現在の中国人がいかに長期の専制君主時代を過ごしてきたかを述べたい。黄河文明の成立がBC一四~一三世紀に中原「甲骨文字」を抱えて登場した。それ以前には「文字」がないから説明できない。

シナには最初八~九カ国の文化があったらしいが、「夏」「商」「周」だけが文化の名に値する「文字」を持っていた。勿論このころの王は、今のうちに書いておくが乱暴きわまりない専制君主ばかりで、最後の「周」の幽王は美妃を溺愛して、遊牧民に滅ぼされた。

後の史書では「夏」の妃や、「商」の美妃((だっ)())も同じパターンで美妃によって滅びたということだが、現実はフィクションだろうとされる。歴史とはこのようにあまり品のない異性関係の情報に深く関連することが多いので、専制君主の悪として、現代の中国人の哲学は関係ない。

しかし、「夏」の治水事業。「商」の青銅器文化の発展。本来、流通業だった「商」が商業ということばを作りだしたこと。「周」の統一への前秦である封建制の確立など、シナの後世文化への影響力の強さは、明君が多くいたからこそのものである。少しずつ、人権の思想が大きくなったが、まだまだだ。

最近に発掘された文化は「夏」の首都と見られる河南省の「二里頭文化」である。今後も発掘が進むだろう。

孔子(BC五五一~四七九)は、東周時代の前半の春秋時代にその教説を固め儒教としてシナ大陸における中心的な哲学体系となり、後発した道教やインド渡来の仏教と異なり私見では生死に全く触れない点で宗教ではなく、春秋時代には「明徳を明らかにし、民に親しみ、至善に止まる」という三綱領を中心にして自己、徳、平天下を目的にする政治的な、修身的道徳論であるが、限りなく宗教に近い中国の中心思想である。

孝を含めたこの道徳論が定着したのは後漢の光武帝治世の頃とみなされる。「二里頭」遺跡からは、中国史上最も初期の麺が出土したという。さすがに現代日本のラーメン文化の先祖である。