始まり

二〇一三年十二月二十一日の今日、僕の中から新しい人格が生まれた。僕は住宅街の一角にある小さなアパートの駐車場にいた。車のヘッドライトが遠くで光っているのが見える。そこがあまりにも寂しくて僕は空を見上げた。真っ暗で小雨が降っている。

「恵子、よく頑張ったね」

返事なんかあるわけないのに僕はハルとなった恵子に話しかけた。それがせめてもの僕からの慰めだった。

僕の心に大きな穴が空いている。それは、もう修復なんてできないほど酷かった。つい数分前までいたはずの目の前のアパートに視線を移す。二階の角部屋のピンク色のカーテンの隙間から光が漏れている。あそこに住む女性とはもう二度と会えないのだろう、そう思ったら恵子がかわいそうになった。

だから僕は子どものように声を出して泣いた。最愛だった女性、奈々の声が頭の中で蘇る。

「私、元彼とセックスしたの。私ね、結婚して子どもが欲しい。普通の幸せが欲しいの」

あの時、彼女はそう言って泣いていた。男性に対して、完全な敗北を味わい、現実の残酷さに恵子は唖然とした。そして泣いている奈々を残し、アパートを出た。無気力な体に涙が頬を伝った。

恵子の人格が悲しみと共に消えていった。恵子の生きてきた人生は願いや夢に溢れていた。それなのに、いつもそれを願うだけで何もできなかった。やがて現実を知っても夢だけはなくならなかった。それでも、そこには絶望が隣り合わせに存在していた。

だから僕には絶対に使ってはいけない言葉があった。絶対に。あの時、彼女は敢えてその言葉を使った。恵子に希望を持たせないための、奈々が示した最後の優しさだった。奈々の未来が僕には分かる。それはきっと、恵子が願っても手にすることのできないとても幸せな未来だろう。

僕はもう一度、空を見上げた。せめて晴れた空が良かった。春の暖かい日差しに包まれたい。そんなささやかな願いから僕の名前は誕生した。