【前回の記事を読む】「前世と現世がつながった」夢か現か、白昼の不思議な体験

教団分裂

私の場合は夢で判断した。大人数で山の平坦な道を歩いている。道の両側には膝くらいの草が生えている。真っ直ぐ行く道と左側にやや下りの道の場所に来て半々ぐらいに分かれた。

下りの道を選び少し歩くと、上の道に数人の着物を着た腕白小僧が現れ私たちに小石を投げつけ始めた。小石が落ちてきたときは青い毬栗である。剥いてみると全く実の入っていない皮だけの栗が二つ入っている。一つを傍にいる息子に渡しもう一つをポケットに入れ歩き出すと、息子は皮ばかりで実のない栗をどうするのとでも言いたいのであろう怪訝そうな顔で握りしめてついてくる。

小さな子供を連れた人がいて子供が親に、あの人は栗を拾っていいねとねだっている声が聞こえた。息子に、持っている栗を子供に渡すよう言うと子供は喜んで実の入っていない栗を受け取った。すると、私のポケットがポンと大きくなり、取り出してみると実が入っている。半分切って別の人に渡すと更に大きくなる。つじつまの合わない話であるが是で私の気持ちはきまった。

土の下まで潜る下座の行と教えられている下の道、何も持たない新しい道を歩むことにした。楽しく過ごしたのは何年だっただろうか、其のうちまた教団の雲行きが怪しくなってきた。新しい教団の教え主様となり、三代教え主を名乗っている方の顔が歪みだしたのである。

最初の頃は、早く良くなってほしいですねで済んでいたのであるが、数か月も続くとひそひそ話が出始め、また、月始祭、大祭等で御教えを話される姿が痛々しいのである。教団としてもいろいろ原因を探っていたようである。

その一つに、組手は全員御み霊という物を首に掛けている。新しく教え主となられた三代様は、ご自分で調整された御み霊と、真光を立教された初代教え主、岡田光玉師からいただいた物と二つ掛けられていると、大祭参拝の御教えのときにご自分で話されたことがある。此のとき参拝された方は一様に驚いたであろうと思う。

組み手は、御み霊は一人一つという不文律があり、教え主様は特別によいのだろうかと思うのだが、口にする人はいなかった。お傍近くの人で忖度で二つ掛けることを認めたり、勧めた人も苦しまなければよいがと先を案じた。

また教団が分裂しそうになり、教団の方向も我が身の置き所もわからなかった。仕方がないので、神様にどうすればよいかお教えいただきますようにお願いして寝た。綺麗な水があり、底の方に澱が溜まっている。

私は水の表面から底まで側面から見つめている。水面に何かが落ちてきた。暫くすると底から澱が湧き上がってきて、たちまち水は汚れてしまった。こんな夢を見てもどう判断すればよいか解らない。もう一度、神様にお願いして寝るとまた同じ夢を見た。

自分で判断しなければいけないらしい。新しい団体に身を置くことにした。何か月か代表者、教え主様が決まらなかった。新しい教団の教え主様には、中野鷹照様が就任された。御教えも何もかも素晴らしい人だった。