我に返った儂は、放心状態の義長様に声を掛けた。

「若殿、いかがなされますか」

「……」

「若殿ぉ、いかがなされますかぁ」

二度目は少し強い口調で問うた。我に返った義長様は、すぐに生気を取り戻して、

「京を捨て、これより兵を西に向ける。まず勝龍寺城まで退き、そこで兵を整える」

諸将の顔に緊張の色がさした。

「霜台、各地に弔い合戦の檄文を撒けぇ」

義長様の声には力が戻っていた。

「承知」

「友通、公方様を六角勢に渡してはならぬ。そちが警護し、石清水八幡までお移りいただけ」

「心得ました」

石成友通は畏まって応えた。

「重治、飯盛城の父上の御指図を受けて参れ」

「ははっ」

松山重治は、すぐに立ち去っていった。このような緊急時にもかかわらず、義長様の指図は的確で、いつの間にか立派な大将へと成長したものだと感心した。諸将が各持ち場に去ったあと、結城忠正が儂の陣を訪れた。

「霜台殿。何やら謀りましたかな」

忠正は疑いの目で儂の顔を覗き込んだ。

「何やらとは、何じゃ」

何のことやらわからず、儂は問い返した。

「本当に何もないのですなぁ」

「だから何のことを申しておるのか」
「然らばお尋ねいたす。実休殿の辞世の句を聞きましたなぁ」

「いかにも聞いたが……」

「『草枯らす霜』とは、悪だくみをする霜台殿を指し、『日に消えて』とは、霜すなわち霜台殿も日輪の如き尊き者すなわち三好長慶様によって消されることを意味し、下の句の『報いの程はついに逃れず』とは、霜台殿の悪だくみもその報いからは逃れられまい……と、それがしは理解したのだが、思い当たる節はありませぬかな」

忠正はなおも疑いの目を強めた。

「何かと思えば、下らぬ。結城殿の勘ぐり過ぎじゃ。儂は何も策など弄しておらぬわ」

実休が儂をどのように思っていたかは知らないが、あまり良い噂がなかったことは知っている。ただ、儂が実休を恨みに思ったり、邪魔な存在だと感じたりしたことはない。疑いの目を向ける忠正を儂は強く見据えた。

「ならば良いが……」

儂から目を逸らした忠正は、納得した様子ではなかったが、己の持ち場へと戻っていった。『世の噂とは怖いものだ』と儂は実感した。

三好勢のいなくなった京の町では、六角勢による三好の残党狩りが行われ、匿う者は罰せられ、人々は恐怖に怯えていた。岸和田城と高屋城を回復した畠山高政は、和泉と河内の諸城を陥落あるいは開城させ、孤立した飯盛城に迫った。