【前回の記事を読む】降り注ぐ矢の雨…1万もの敵軍を前に、松永の下した判断とは

永禄五年(西暦一五六二年)

十河一存が亡くなって早一年。寒さも和らぎ、鶯もまだ幼い声で(さえず)り始めた頃、その長閑(のどか)さを一変させる知らせが西院の陣にもたらされた。

「申し上げます。昨日、和泉国久米田にて三好実休様率いる三好勢が大敗し、実休様お討ち死とのこと」

この日、今後の善後策を講ずるべく、義長様を首座に西院に集っていた諸将の表情に戦慄が走った。

「なんと。それはまことか」

義長様が身を乗り出して伝令に問うた。伝令は、戦の詳細について報じた。

「畠山勢が岸和田城の囲みを解き、東の貝吹山城との間を流れる春木川を渡河したため、好機とみた貝吹山城の三好勢は城から討って出ました。そして久米田という所で矢戦を仕掛けたところ、畠山勢の先陣安見隊、二陣の遊佐隊が脆くも崩れ申した」

「それは罠だな」

結城忠正が思案顔で言葉を挟んだが、伝令は報告を続けた。

「三好勢の先陣を務める篠原隊が前進し、追い討ちをかけ申したところ、敵三陣の湯川隊が篠原隊に横槍を入れたため、実休様は三好康長隊、政勝隊に前進をお命じになられました」

「それでは実休様の本陣ががら空きではないか」

今度は松山重治が伝令の報告を遮ったが、伝令はなおも続けた。

「まさに実休様の本陣が手薄となったところを背後に回った根来衆に鉄砲を撃ちかけられ、馬廻衆は全滅、実休様も根来右京なる者に狙い撃ちされ、往来左京なる者に首を討たれ申した」

それまで身を乗り出して報告を聞いていた義長様は、腰を落とされ、落胆の色を隠せずにいた。そして居合わせた諸将も嘆きの声を上げた。伝令は、最後に実休様の辞世の句を披露した。

「草枯らす霜また今朝の日に消えて 報いの程はついに逃れず」

「して、岸和田城の安宅冬康様やほかの方々はいかがした?」

結城忠正が冷静に問うた。

「阿波衆は篠原長房様がまとめられ、三好康長様、三好政勝様ともども堺まで退かれました。安宅冬康様は城を明け渡され、淡路衆に守られて淡路に落ちましてございます」

皆、言葉を失くしていた。実休が討ち死した日は、何の因果か、奇しくも自ら討ち果たした、かつての主君、阿波の守護細川持隆の命日であった。実休は儂と師を同じくする茶の湯好みで、共に武野紹鴎(おきな)から茶道を学び、〈三日月の茶入れ〉など数多くの名物を所有していた。

「まだ三十六歳の働き盛りというに……」

などと、在りし日の実休を儂は偲んでいた。