出会い

私は一九五四年十二月十七日、京都市生まれ。父は耕三、税理士。母は早苗、父の事務所を手伝いながらの主婦。三歳下に弟がいる。父は、私が二十歳のときにすい臓がんで亡くなった。

早稲田大学教育学部国語国文学科を卒業後、母校の京都女子高校の教員を経て、フリーランス・ライターになった。シナリオライターの小國英雄先生の門下生としてテレビドラマ『銭形平次』の脚本を書いたこともある。

博史と出会ったときは、三十五歳。日本文化を専門として、大学の市民講座講話録編集長、茶道家元や老舗料亭の広報誌編集長、全国紙のスタッフ記者を兼務し、雑誌に連載を抱えていた。

新聞社主催のシンポジウムではアメリカの元国務長官一行の京都ガイドを務め、海外取材にも年に一度は出かけた。後輩が数えたところ、五十カ国に行っている。当時は、半ペラと呼ばれる二百字詰めの原稿用紙に、万年筆で書いていた。それがある日、新聞の編集者から「二、三カ月のうちに、ワープロ打ちの原稿にしてください」と告げられた。

私は機械に弱い。機械オンチ、数字オンチ、方向オンチと三拍子そろったオンチである。それなのに、ワープロ! 耳にしたことはあるが、自分とは関係ない世界だと思っていた。一生、手書きでやっていけると思っていた。いかん。このままでは失業してしまう。泡をくって、機械に強い友人に泣きついた。

その友人が「キーボード操作に慣れるには、ネットサークルに入るのが近道だよ」と紹介してくれたのが、「異文化交流サークル」だった。

「名前、何にする?」

と尋ねられて、「福田恭子」という名前にひっかけて「福田るま=福だるま」とした。プロフィールには「るま」という名前と、フリーランス・ライターであること、京都生まれで今も住んでいること、海外渡航歴、趣味は歌、といったことを書いた。

※本記事は、2021年9月刊行の書籍『あなたと虹を作るために』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。