「僕も無調派の音楽では二、三回かな、生で聴いたことがあるだけで、今日の演奏そのものには口が出せないな。ただ言えることは無調音楽って当時は全く新しい音楽を開拓するという意欲に燃えていたことは確かだろうね。そしてこのアヴァンギャルドな性格に加えてほとんどがユダヤ人の作曲家だったことが災いして国粋的で保守的なナチズムにより頽廃芸術の烙印を押され迫害されたんだよね。

一度ひょっこり思いついたことがあるんだけど、この二つというか一つでもいいと思うけど、迫害されて出てきた音楽というのは、結果論になるかもしれないけどね、何かとてつもなくいびつなというか、不条理といっていいぐらいの世界を描くのにピッタリなんじゃないかということだ。どうもうまく説明できないんだけど、そのような内容がこの音楽には合っていると思ったね。

そんなことがひらめいたのは前にアルバン・ベルクの『ルル』を観劇した時の影響かもしれない。この『ルル』だけど、我々の日常生活ではまず見かけない女の男遍歴をテーマにしていて、極端極まる男と女の闘争というの、これで描かれる不条理の世界には無調音楽は不思議とぴったり合ってる感じがしたね。

男を滅ぼさないではおれない女の性というの、それをシェーンベルクの影響を強く受けたアルバン・ベルクは台詞での説明とか理由づけなど殆ど抜いてしまって、主に音楽とオペラ歌手のアクションで表してしまっているんだね。

僕が見た時の演出方法がそんなメリハリをつけていたので、ベルク自身は元々もう少し台詞にも重みを措いていたのかもしれないけど。男女の愛の成就とか合一とかでなく、愛を巡る男女が平等を求めて繰り広げる心の葛藤とか、それ以上にまさに闘争だね。こういうテーマだったらこのアヴァンギャルド音楽はぴったしだと思うね。

何だか話が脱線してばっかりになっちゃった。ヨーロッパで生きた同化ユダヤ人が最後に拠り所とするのはキリスト教かユダヤ教か、それとも無信仰にまで入ってしまうのかな? そういうことは僕にはわからないし、それにシェーンベルクは特定の宗教を信じていたのかどうかも知らないけど、僕も神様の慈しみによって悟りを開けるような夜をそのうち過ごしたいと思うよ」

話し合いの最後のあたりでは来栖も葛城もアルコールが少し回ってきたこともあって座の雰囲気は明るくなり、次第に三人共互いに相手を洒落のめすような軽口をたたき合うようになっていった。

この時の語らいを来栖は何年か後に思い起こすことが何度もあった。話の内容はどんどんぼんやりしてくるのに、自身を含めその当時の真理と葛城が醸し出していた明るく華やいだ雰囲気だけは、自身も加わっていただけに、鮮明に記憶に残り続けた。多分この雰囲気に来栖自身完全に染まってしまい、楽しく若やいだ気分を三人で共有できるよう一役買っていたのだ。

後々もこの時の会話を思い起こすと「俺たちは遅ればせとはいってもまだまだ青春を生きていたんだな」と、懐かしい気持ちになる。

※本記事は、2021年4月刊行の書籍『ミレニアムの黄昏』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。