そんな中、唯一学年内が真っ二つに割れることがあった。それは宿舎の選定の時である。旅行担当のA教諭は超高級ホテル「ラッフルズ・ホテル(RafflesHotel)」〈注2〉を推し、学年主任の私は一般のホテルでよいと、毎回、喧嘩腰の平行線であった。学年内の意見は、3対3の同数で決着がつかないまま時が流れた。そして業者選定のギリギリの直前で、私が折れて〝ラッフルズ〟を提案することで学年の意見をまとめた。

当然、校長をはじめ、事務長(のちの経営企画室長)からは、何でそんな高級ホテルに泊まる必要があるのかと懸念する意見が出された。私は学年を代表して、今回の修学旅行の目的の一つとして「高いクオリティー」を掲げており、それを追求した結果であり、何時間も議論の末、到達した結論でもある旨を説明し何とか了承してもらえた。

後にも先にも最初で最後か? 日本の修学旅行生が同ホテルを利用した話はこれ以降聞いていない。

余談ではあるが、修学旅行を実施するに当たり、必ず実地踏査、いわゆる「実踏」という事前の調査旅行が行われる。私は旅行担当教員2名とともに、学年主任という立場で実踏を行い、当然ラッフルズにも宿泊した。そして、本番の旅行でも同様に同ホテルに宿泊した。

まさに“公費”で2度も泊まった人間である。さて、宿泊するに当たり、ホテル側から一番強く言われたのが、“ドレスコード”、すなわち“生徒の身だしなみ”のことであった。ラフな格好で入館するのは禁止で、必ず、フォーマルなスタイルで、とのことであった。そこで生徒たちには、赤道直下の南国で気温もかなり高かったが、ブレザー・ネクタイの制服着用を義務付けた。

生徒たちはそのホテルに泊まるためだけに制服を持参することとなった。生徒の中には、家庭の事情もあってか、アイロンのかかっていない、よれよれのズボンやテカテカした上着、裾がほころんでいる者もいて、目を背けたくなる場面もあったが、彼らは客人として、そして日本の高校生として、大変緊張した面持ちでドアボーイの前を通過したのであった。その時の光景がとても印象的で、今でも目に焼き付いている。


〈注1〉「9.11事件」正しくは、「アメリカ同時多発テロ事件」という。2001年9月11日に航空機等を用い米国内の4か所で同時多発的に発生したテロ事件の総称。9月11日に起きたことから俗に“9.11事件”ともいわれる。米国本土がテロリストの攻撃に晒された事件であり、加えて米国の中心部が次々と攻撃された事実は、世界を震撼させた。これを機に、国際テロ組織の脅威が世界的に認識されるようになり、米国はテロとのグローバル戦争を表明し、アルカイダやその関係国への報復としてアフガニスタン紛争やイラク戦争に繋がった。(出典:『ウィキペディア』より「アメリカ同時多発テロ事件」https://ja.wikipedia.org/wiki/2020年5月17日〈日〉16:50一部参照)

〈注2〉「ラッフルズ・ホテル(RafflesHotel)」シンガポールの最高級ホテル。1989年ラッフルズ・インターナショナルにより全面改装され、1991年に再開。ホテルの名称はイギリスの植民地行政官でシンガポールの創設者であるトーマス・ラッフルズ卿に因む。ミシュランのシンガポール版(2016)では、最高評価の赤パビリオン5(特に魅力的で、豪華で最高級)にランクされている。客室数は103室、全室がスイート。1室の1泊料金は、約12万円~約13万円(時期により変動)で、シンガポールのホテルの中で客室の料金が一番高く、他のシンガポールの高級ホテルと比べて、最低でも約2倍高く設定されているという。(出典:『ウィキペディア』より「ラッフルズ・ホテル」https://ja.wikipedia.org/wiki/2020年5月17日〈日〉16:55一部参照)

※本記事は、2021年10月刊行の書籍『ザ・学校社会 元都立高校教師が語る学校現場の真実』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。