解放へ躍動する上海

最終日は総二階建てという観光専用列車で四時間かけて、南京から上海へ移動した。ここも二年ぶりの上海は、天地が逆転したように全く変貌していて驚かされた。とにかく高層建築の乱立である。変わらないのは人、人、人の雑踏である。

まず開放区で名高い浦東地区へ直行する。まだ空き地の多いこの地区に中部有数のステンレスタンクメーカー森松工業さんが工場を進出させたので、松久社長の案内で見学させていただいた。精悍な風貌で意欲満々な松久氏だが、そこにはやはり国情の違いから発生する苦労が数々あった。

中国人とつきあってみると、グループ活動の能率が悪い、言いつけたことしかしない、精神がgive & takeでなくtake & takeであることなど。相手が契約違反をした時、言った言葉が「契約を守らなくてはいけない、とは契約書の中の何処にも書いていない」だったそうだ。そこで上海一の弁護士に相談すると、「それが中国人です。諦めなさい」という具合らしい。

邱永漢氏は著書で、日本人は優秀品に付加価値をつけて売るが、中国人は、右から左に品を流して莫大な利潤を狙う。一口で言えば日本人は職人的気質の国民であり、中国人は商人的性格の国民であると言う。また、税金を払うよりも安上がりの賄賂を選ぶという後進国家的性格が、まだ抜けてないそうだ。

税金といえば従来は地方税のみでそのうち三〇%を国に上納していたのを、最近改めて国税を設定したのだが経済向上に寄与したという。

上海の開放政策による活気は、夜のネオンの洪水をみてもしっかり認識できる。けれども私はグローバルな環境重視の現代で、「一人っ子」政策に踏み切った政府の英断を高く評価したい。たとえ、それが国力の低下と人類繁栄の本能に対する忍耐、自然の摂理への背馳を生もうとも、この長い視野への決意は尋常ではない。

中国は短い紀行文で論じるにはあまりに社会的に奥深い。この文はほんの序論にすぎない。ただ中国人には、自然に溶け込もうとする「東洋のこころ」を失って欲しくないと思う。

ウィーンの大作曲家マーラーは唐詩をテキストにした「大地の歌」フィナーレ「告別」(東芝EMI訳詩)で、人間の生のはかなさと、繰り返し花が咲き永遠に続く大地の対比を歌っている。

(一九九四年〈平成六年〉八月記)

※本記事は、2021年7月刊行の書籍『21世紀の驚くべき海外旅行II』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。