織田は人類が行なってきた冒険について思う。人が最初に砂漠を渡ったのも、丸木舟で大海に乗り出したのも、帆船で地球の裏側を目指したのも好奇心であった。

好奇心には命を懸けるほどの勇敢な価値がある。人類はその好奇心で居住のエリアを広げ新しい乗り物や恐怖に立ち向かう武器を作ってきた。太陽に守られ太陽の恩恵で繁栄を謳歌してきた人類が、その太陽から飛び出そうというのである。内海から、外洋に小舟で漕ぎ出した遥か昔の海人のように。

行ってみなければ、やってみなければわからないことは多い。どんなに優秀な望遠鏡で覗き込もうが、見るのとやるのとでは大違いである。太陽系の果ては誰も見たこともない、見ることもできないエリアである。宇宙創造の神がどんな仕掛けをしているのかもわからない。人間が作った乗り物なんかで、その壁を出ることができるのか理論も保証もない。

どんなことにでも最初がある。コロンブスが大西洋を渡ったときでも、海の中から怪獣が出てくるのではないか、海が裂けて地獄に落ちるのではないか、今ではそんな馬鹿なと思うことが、その当時は実(まこと)しやかに多く議論されたことだろう。

後から思えば、なんだそんなことだったのかであるが、最初は誰にもわからない、わからないことには不安が生まれる。だからこそ冒険であると自分自身に納得させる。