【前回の記事を読む】「いかんっ」夫に触れようとした瞬間、義父に厳しく止められ…

第一章 突然の別れ

博史との再会

一九七九年、大学三年生のとき、父が在外研究でドイツに赴くことになったので再び、家族で渡独した。博史はフライブルク大学の留学生となり、大学の寮に入った。一年半の留学中にドイツ語を本格的に学び、ゼミで法律の面白さに目覚めた。

帰国後、憲法学者を目指して学部から大学院に進んだ。大須賀明先生のゼミで、「すごい先輩たちがいて、毎日のように侃々諤々、議論している。ついていくのに必死だったけど、めちゃくちゃ楽しかった」が、修士修了後の博士課程試験で落ちてしまった。英語が足を引っ張ったとか。

浪人中の一年間、「かなり真剣に悩んだ」そうである。自分は本当に憲法学者としてやっていけるのか。父が高名な刑法学者であるが故のプレッシャーもあった。「七光りと言われるのだけは、絶対に嫌だったんだ」

それでも、ほかの道に進むという決断もつかなかった。悩みつつ、京都大学の大学院試験も受けることにして、願書をもらいに京都に行った。

「一人旅で話し相手もいないし、町をぶらぶら歩いても、受験とか将来のことが気になって、ちっとも楽しくなかった。それで、北野天満宮へ合格祈願に行こうと思ったんだ」

北野天満宮の交差点で信号待ちをしていると、目の前の赤い鳥居が「立ちはだかっているみたいに見えた」

そのときに、はっとしたそうである。

「僕のこの心の弱さが問題なんだ。本当に好きなら、一生を賭けるべきだ。神頼みしている場合じゃない」

そのままUターンして帰京し、英語の勉強に向き合った。

同時に「父は刑法、僕は憲法。僕は自分の好きな道を進む。誰のせいにもしない人生を生きる」と決意した。

それからは、迷わなかったそうである。翌年、博士課程試験に合格した。尊敬する先生方や先輩たち、生涯の友となる同輩や後輩たちとも出会い、学外の勉強会にも参加させていただいて、喜々として学問の世界に飛び込んでいった。