またフランスの例で恐縮だが、彼の国には“Noblesse oblige” すなわち、「貴族の責務」という、上流階級の自戒の言葉がある。対する中国では「君子は労せず」という逆の意味の言葉が伝えられてきた。

日本ではどうだったか。安土桃山時代は尾張出身の前田利家の文書から察すると、ヨーロッパに似た気風だったようで、城普請の時は先頭切ってモッコをかついだと言う。

同じく利家の記録によると、晩年「学問というものは、面白いものじゃ」と吹聴して知識欲に目覚めたと言う。ここの学問とは儒教のことである。江戸時代には孟子などもよく読まれた。その中に「君子は労せず」とあり、この時代の気分は中国風だったといえる。

明治になり西欧文明が入って来ると、「自助努力」という精神からイギリス風がはばをきかすようになった。海軍などはその最たるもので、山本五十六の言動などは典型的なイギリス精神が感じられる。その後は英国風と中国風が混在しているようで、この点では日本はややこしい国である。

そんなことで中国は英国風になじまなかった。現代でも最も気の合わない両国といえよう。

次に、中国よりも日本の方が何故先に近代化が出来たかという一つの大きな理由としては、梅棹博士の言われるように、江戸時代に連邦的な封建制度が続いて、各藩同士の激しい競争を庶民まで決して嫌わなかったということに落ち着く。

中国は二〇世紀に共産主義に指揮されるまで自助に至らなかった。中国はシステマティックな国でなかった。誠に地方分権は国のエネルギー源なのである。