変な夢を見た。京都に住んでいる老夫婦の家に仕事に行き、帰り際に、土に埋もれていたような、また、土くれが付いて変色した木片を数枚差し出して、是を使ってくれと言うのである。どう見ても、何にどのようにつかえばよいかも思い浮かばない代物である。持って帰ってくれと言うのだから、不承不承ながら、ありがとうございます、と言って持って帰ることにした。

次の日から、地図を広げ、仲間が寝ている内に夢の場所探しに出かけた。仕事開始に遅れないよう気を遣いながら、醍醐近辺の神社巡りをした。数か所行ってみたが、此処と思い当たる場所はなかった。やっぱり夢であったかと諦めた。

どれほどかのちの日に、出口王仁三郎の件を引きずっていた私は、当てもなく亀岡を歩いてみようと、一人出かけた。先ずは出雲大神宮にお参りして、亀岡駅周辺をうろつき、平和台公園に上ってみた。麓に出雲大社京都別院があり、亀岡に大神宮と大社。亀岡の特異性を感じた。

頂上まで登ると、鬱蒼とした杉林の中に赤い鳥居があちらにもこちらにも、一定の方向に向いているのではなく、好き勝手な方向に向いている。よく見ると狐の置物が置いてある。薄気味悪くなり大きな鳥居の所まで戻ってみると『磐栄稲荷宮』と、額が掲げられている。

気を取り直し境内を散策してみると、かって、安倍晴明が此処で修行したとも書かれている。今でも寂しく人影が見当たらない所である。遠い昔はさぞやと思うのだが、偉人は寂しいなど思っていられなかったのだろうか。

山を下りて少し歩くと、愛善苑と書かれた小さな看板が目に入った。そこがなにかも知らずに看板に誘われて入っただけである。庭をうろつくも人はいない。

暫くすると二人連れが現れ互いに軽く会釈をし、講堂らしき中に入っていったので図々しくもあとに続いた。二人は二階に消えていったが私は一階の一角に書籍売り場が設けられていたので、そこで足が止まり残った。私がほしかった出口王仁三郎の続編は無かったが、そこは出口王仁三郎の宝庫である。

断片的にしか読んだことのない東雲ので始まる大本神諭や、他では手に入らないであろう王仁文庫の復刻されたものが面白いように手に入るのである。数冊買い求め、読み終えるとまた出かけるを繰り返した。大本教を離れた出口王仁三郎の孫である、出口和明氏、と、出口三平氏、を中心とした愛善苑である。

夢の中で、老夫婦から土に埋もれたような木切れを勧められ、気乗りしないまま持ち帰ったことを思い出し、断ったり、途中で捨てていれば、このような書籍には巡り合わなかったであろう。

※本記事は、2021年8月刊行の書籍『市井の片隅で』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。