1998年8月29-9月1日(土-火)ドナウ川都市紀行(ウィーン、ブダペスト、ザルツブルク)

-モーツァルトが活躍した町と、苦難の歴史の町ブダペスト-

日本は天気も政治・経済も大変なようです(注1)。こちらでは仕事柄直接の影響は無いものの、イギリス人内部監査人の採用に苦労しているところです。しばらく前ですと日本の銀行での勤務はキャリア・パスになったのですが、最近ではリスクといわれる始末です。

ロンドンは7月まで肌寒い天気でしたが8月はようやく暖かくなりました。月曜日がバンク・ホリデーでしたが、イギリスでは祝日(注2)が少なく(日本が18日に対しイギリスは8日)これからクリスマスにかけてみるみる日が短くなり天気も曇りがちになり気が滅入ってくる時期です。

この次の連休はクリスマスになるため火曜日に年休を取り、ウィーン、ブダペスト、ザルツブルクに行ってきました。ウィーンはオーストリア東端ドナウ川西岸の首都で古来南ドイツとハンガリーを結ぶ道とボヘミアとイタリアとを結ぶ道が交差する交通の要衝で、17・18世紀に最盛期を迎え数々のバロック建築で町を飾りたてました。

ガイドさんの説明では第二次世界大戦後は社会主義国に周囲を囲まれてしまい停滞の時期だったそうですが、1989年の東欧民主化後、その地政学的重要性が戻りつつあるような気がします。

実は、ウィーン到着後ブダペスト日帰りツアーを見つけ日曜日にハンガリーのブダペストに行ったのでウィーンは今回ほとんど見ていません。土曜日の市内観光ツアーで中心部をバスで回ったのと、郊外にあるハプスブルク家の夏の離宮シェーンブルン宮殿と対トルコ解放戦争の英雄オイゲン公の離宮ベルヴェデーレ宮殿だけです。

【写真3】ヨハン・シュトラウス記念像
【写真4】ベルヴェデーレ宮殿

1つ気がついたのは、シェーンブルン宮殿の外観とりわけ庭園と宮殿の正面に建つ東屋の配置が7月に観光したヴォ・ル・ヴィコント城とそっくりなことです。ガイド・ブックにはルイ14世(在位1643年~1715年)のヴェルサイユ宮殿に対抗しハプスブルク・オーストリアの威信を示すために建築したとありましたが、建築家はヴォ・ル・ヴィコント城も参考にしたかもしれません。

 

(注1)1997年11月の山一証券、三洋証券の破綻に続き1998年10月には長銀、日債銀が相次いで破綻するなどバブル崩壊後の金融機関経営問題が次々に表面化した時期です。

(注2)2020年では、1月1日(水)New Year’s Day、4月10日(金)Good Friday、4月13日(月)Easter Monday、5月8日(金)Early May Bank Holiday、5月25日(月)Spring Bank Holiday、8月31日(月)Summe rBank Holiday、12月25日(金)Christmas Day、12月28日(月)Boxing Day(の振替休日)の8日です。

※本記事は、2021年8月刊行の書籍『ヨーロッパ歴史訪問記』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。