権威とは、人間に対する影響力である。権威は客観的(形式的)権威と主観的(内容的)権威に二大別できる。

客観的権威は、例えば社長や部課長のような肩書とか建物などの大きさや高さなどの外観である。肩書は初対面だと名刺によって判断されるが、どんな貧相な人でも社長は社長であり、どんなに貫禄があっても課長は課長であり、それらは誰が見ても客観的に同一なので肩書や外観は客観的権威の具体例である。いうまでもないが、貫禄があるとか、若く見えるとかも客観的権威である。

一方、主権的権威は、例えば人の実力や物事の中身である。同じ人の実力でも見る人によって評価はまちまちなので、人の実力ほど主観的なものはない。同一人物でも実力のある人からは低く見えるし、実力のない人からは高く見えることになる。

また見る人の性格によっても評価は変わるから「実力」ほど主観的に変化して見えるものはない。立派に見えていた建造物でも地震で簡単に壊れて手抜き工事が発覚することがあるが、人でも建造物でも中身はなかなか分かりにくく、同一の人や物でも見る人の眼力や性格によって中身は違って見え、非常に主観的であることが分かる。

このように客観的権威は分かりやすく、主観的権威は分かりにくいので、われわれは客観的権威の影響を受けやすくなる。どの時代にも支配的な権威の体系というものがあり、われわれはその体系内で生きているのである。

支配的な権威がわれわれの価値観やイメージを形成し、われわれの行動を規制する。権威の体系の中で生きているわれわれが世の流れに逆らって生きることが難しいのはそのためである。警察という権威から無実の罪を着せられて泣き寝入りする人が後を絶たないのはそのような構図から来るのだろう。

くだんの主婦が猫ばばの嫌疑を何とかはねのけることができたのは、取り調べに対する彼女自身の粘り強い頑張りと家族の信頼であったろう。彼女の強みは「やってないものはやってない」という素朴な感情であったろうが、殺人事件でさえも自白させられ冤罪を被る人が少なくないことを思えば奇跡的に幸運であったと言えるのかもしれない。

自白を強要する取り調べに頑として応じない主婦の一途な態度から、どうもおかしいということで遅まきながら内部を疑うようになったのであろう。警察の失態を隠蔽するためにもみ消されてしまうこともあるだろうから奇跡的な生還(?)と考えておいた方がよいのかもしれない。

支配的な権威や価値観に基づくイメージは恐ろしい。イメージによって事実はいかようにでも加工されてしまうからである。