少しでも外食産業の実態を経験しておこうと考え、新聞に折り込まれていた求人チラシで見つけた、ファミリーレストラン「ロイヤルすかい」に応募した。履歴書を送って一週間後、書類選考の合格と面接日を告知する通知が届いた。

午前十時から立川駅の近くで実施される試験は、昼には終わるだろうと高を括り、昼飯は家族を誘って試験場近くのロイヤルすかいで食べるつもりで家を出た。試験場は、予想をはるかに超える百名近くの応募者で溢れていた。

試験はまず人事担当者の会社説明から始まり、続いてビデオによる外食産業の現状と将来性、ロイヤルすかいの躍進ぶりがスライドを使って紹介され、知らず知らずのうちに恭平はロイヤルすかいに魅了されていった。

(東京に残って、ロイヤルすかいで幹部を目指すのも案外悪くないかも知れないな)

一時間余の会社説明を聞いただけで、主客転倒したことを考え始めている自分に驚いた。その後、簡単な筆記試験と若手社員による面接があり、ランチまでご馳走になった。ランチを終えコーヒーを飲んでいると、いきなり名前が呼ばれ始め、呼ばれた者だけが午後からの最終面接と適性検査に臨んだ。

幹部社員と思しき面々との最終面接は上々の出来で、三日後には合格通知が届いた。合格通知は届いたけれど、恭平はロイヤルすかいへの入社は見送った。

恭平が選んだ研修先は、慶応二年創業の寿司屋から脈々と続く百余年の老舗を誇り、今は給食を中心に社員食堂やレストラン事業を展開している「北原屋」だった。北原屋の澤井社長と恭平の父親が面識があった関係で、半年を目途に研修を受け入れてもらい、日本橋浜町にある給食センターに住み込み、土日だけ日野市の桃山団地に帰宅する生活が始まった。

朝は六時に起床し、七時には白衣に着替え長靴を履いて現場に入り、盛付け作業をする。盛付けが終わると軽い食事を済ませ、午前中は配達、午後からは飛込みの営業回りが日課だった。一日五千食程度の給食を三本のレーンで流す作業は単調ながらも、それなりに面白かった。

工場には、集団就職で青森から上京して入社し、頭角を現して役員にまで上り詰めた常務を筆頭に、工場長以下四十名程の若手社員、同じく青森から出稼ぎの五十歳代の夫婦が十組ほど働いていた。

常務の名前は村野邦夫と言い、恭平より十歳近くも年上に見えたが、意外にも三歳年長の三十三歳だった。とにかく謙虚で腰が低く、年下の恭平に対しても笑顔を絶やさず、丁寧な敬語で話し掛けられるのには閉口した。常務は只者ではないと感心させられたのは、研修が始まって二カ月も経っていなかった。

※本記事は、2021年11月刊行の書籍『挑戦のみ、よく奇跡を生む』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。