キャリアガイダンス部長として ~私が手掛けた“一大事業”~

この学校は、他校にはない様々な先進的な取り組みを行っていた。その一つとして、キャリアガイダンス部という分掌組織があった。一般的には、進路指導部といわれるものがそれに相当するのであるが、当時のキャリア教育の充実が叫ばれる中で生まれてきた分掌であった。

この分掌は、簡単に言うと、通常の進路指導部の担う業務以外に、キャリアガイダンスという「在り方・生き方」教育を推進する“授業“の担当も併せ持つ部署であった。

授業というからには、教材開発を行い、指導案などを作成するなど、全く新しい業務を推進する部署であった。したがって、既存のものが何もないところから始まったという点で、まさにパイオニアとしての苦労があった。

私はそのキャリアガイダンス部の部長、すなわち主任に請われて着任したのであった。前任校で、進路指導主任の経験があったものの、さすがに慣れるまでは大変であった。なお、「キャリア教育」という言葉が、学校現場で盛んに使われ始めるようになるのが、丁度この頃であったことを申し添えておく。

さて、その主任を4年間務める中で、私が直接手掛けた“一大事業”ともいえるものがあった。それが、中央大学との高大連携事業である。「高大連携」は、今でこそ、しばしば耳にする言葉であるが、当時はまだ馴染みも少なくとても珍しかった。当然、全国的にも初の試みで、マスコミにも取り上げられた。

この事業は、本校生徒がある一定期間大学に通い、そこで修得した成果を高校の修得単位として認定するというもので、そのためのシステムづくり等の環境整備に相当なエネルギーを費やすこととなった。

校内における履修規定を改定する作業に加え、何度も大学関係者と実務レベルの話を進め、最終的には、大学の学長と本校の校長とで協定書を交わして連携事業の締結を行った。当時としては、とても画期的な事業であったが、裏方は大変であった。

※本記事は、2021年10月刊行の書籍『ザ・学校社会 元都立高校教師が語る学校現場の真実』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。