それでも実りの多い3年間だったのではないだろうか。そしてそれは長いようで短かったのではあるまいか。付属の大学に上がることになり、今度は大学の寮で暮らすものと思っていたところ、妹の高校入学のため母と妹、弟が帰国して、寮暮らしは突然終わりを告げて、再び家族と暮らすようになる。

一緒に暮らし始めた途端、おまえは何もわかっていない、おまえは何もできない、ろくな人間ではない、と、こちらが反論もしようのない言葉を矢継ぎ早に浴びせかけてきたり、お姉ちゃんは勉強が忙しくてうちではご飯を食べないからと聞こえよがしに弟妹に言って夕食の用意をしなかったり、母親の虐待はさまざまな形で続いた。

寮の生活になじんでいただけに、よけい家にいるのをつらく感じて、大学の図書館や周辺のファストフードなどで過ごす時間が長くなり、それが母親の冷たい態度を正当化するといった悪循環であった。

多感な思春期を寮で過ごし、いろいろな人の影響を受けたあとに自分の家に戻るのは、誰にとっても容易なことではない。ましてや母が自分を邪険に扱うのだ。居場所など見出せるはずもなかった。

父が帰国した際に、それとなく相談すると、父が母に扱いをよくするように言ってくれたが、効力があるのは父がいる間だけで、父がまたアメリカに発つと、お姉ちゃんはお父さんがいないとうちにいるのが嫌なのよねと言われて元の扱いに戻ってしまった。

ただ小遣いを渡すようにと父が言ってくれたおかげで、当初月に2万円もらっていた。しかしそれで衣類から教科書から昼食まですべてまかなうので、どうしても足りずにアルバイトを始めたところ、自分で稼いでいるのだからと金額は1万円に減らされてしまった。

※本記事は、2021年10月刊行の書籍『毒親の彼方に』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。