「消防署では、こうして交替で食事当番があります。その日の泊まりの勤務の……だいたい、三十人分くらいの食事を作ります。昼は、それぞれ持ってきたお弁当を食べるんですけど、夕食と朝食は、食事当番が作っています」

舞子が食事当番のシステムを記者に説明する。

「赤倉さんも、得意料理とか自慢のレシピとか、あるんですか」

記者のインタビューが続く。

「……赤倉くんの得意料理、ねえ。肉屋に電話して、トンカツ三十枚と千切りキャベツを発注することかな」

「このまえ、『サルでもできる仕事しとけ』って食当班長に言われて、バナナの皮むきだけやってたよな」

「隊長! 岩原士長!」

菅平と岩原には、舞子は料理が苦手であることを見透かされている。いや、本当は食事当番も極めたいのであるが、一日約十件もの救急出場をこなしているのだ。食当はどうしてもおろそかになってしまう。

全国の救急隊員数が約六万人で、うち女性は一三〇〇人だから、女性救急隊員は約二%しかいない。東京など大都市では女性消防官の割合が多いものの、地域によって、女性消防官は一人もいないということもある。そういうわけで、雑誌やテレビの密着取材などを受ける機会も少なくない。

女性消防官は、一九六九年、家庭の主婦の防災指導・相談を主な業務として誕生した。労働基準法の女子労働基準の改正により、深夜業務の制限が撤廃され、救急隊員や機関員の分野に女性が進出したのが一九九四年。まだまだ女性の救急隊員は一般的ではない。

背が高く、ショートカットの舞子は、ヘルメットをかぶってマスクを着けて現場に出れば、声を出すまで男性隊員だと思われている場合も多い。

「赤倉さんは、なんで救急隊員になろうと思ったんですか」

次の質問は、お決まりの「志望動機」だ。

「……私、大学で救急救命士の免許を取ったんですけど、正直言って、入学したときは何にも考えていなかったんです」

消防官になろうという者は、幼い頃に怪我や病気で救急隊に助けられたとか、何かとドラマティックなエピソードを持っていることが多い。

「大学のカリキュラムの一環で、アメリカのシアトルで救急医療を勉強するっていう研修があったんです。そのとき、シアトルの救急車に乗務しているパラメディックと呼ばれる人たちが、日本の救急救命士にはできない処置とかもバンバン実施していて『かっこいいなあ』って思ったんです。なんか、タイムマシンで未来に来たみたいな気持ちになって。大学の先生から、シアトルでは心停止傷病者の救命率がすごく高いって聞いて……」

「それで、日本の救急医療システムを改革したい、と?」

「まあ、そんな感じです……」

インタビューに答える舞子をちらりと見て、水上は食堂を出ていこうとした。

※本記事は、2021年10月刊行の書籍『東京スターオブライフ』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。