華清池で長恨歌しのぶ

俑坑の西一・五キロに始皇帝の陵墓がある。日本の古墳よりはるかに大きく、周囲六・二キロで高さ四〇メートルの山である。西安付近にはこれより小さいが多くの陵が点在する。

やがて華清池に着いた。唐の玄宗が楊貴妃と過ごした景勝地で、白楽天が長恨歌で、

 春寒賜浴華清池

 温泉水滑洗凝脂

と歌ったところである。西安の安禄山が反乱を起こし、妃を失った玄宗の気持ちに対して、

 在天願作比翼鳥

 在地願為連理枝

 天長地久有時尽

 此恨綿綿無絶期

となっていて、日本ではいかにも夫婦の恋情を歌いあげたようにとられている。しかし、実は白氏は宮廷の高級官僚で、この詩は杜甫などの詩と同様、政治を風刺した諷諫詩であり、「こういう風に王たる者が女なんぞにうつつを抜かしていると国が滅びるぞ」という意味である(林望氏の著書による)。同じ白氏の長詩「琵琶行」にもそんな雰囲気がある。中国人は至って現実的なのである。

また、文学の原点とされる日記・自叙伝が、世界で珍しく中国にないという事実は、中国人の国民性を知る一つの手がかりになるだろう。

西安には三時頃帰り、城門を潜った。城内の人口三〇〇万といわれ、歩行者と自転車の雑踏の中を縫うように我々のバスが進んだ。やがて自由市場に着いて、ここは徒歩で見学した。あらゆる変わった食べ物の豊富さに驚かされるが、ニシキヘビやセンザンコウやコウモリも売っていた。

中国人は「食」のことが頭から離れぬように見える。医食同源といって食を生命の芸術にまで高めて表現する。食堂でガイドがメニューを説明する時の格式ばり、喜びに輝くその表情。ここでみられたヘビとか後に出てくるサソリまで食べる神経は、あくなき食事への好奇心とか執念を思わせる。イギリス人が「食を頭におくことは紳士の条件でない」というのと反対の信条である。

中国は長い歴史の中で飢えを経験し、克服した国である。だから、日本人が武士を重んじたように、中国では農民を大切にする。天安門事件で知識層が民主主義を叫んでも、膨大な農民層とこれも開発途上国特有の「強い軍」によって押さえつけられたのも、思想より食を大切にしたかったからだろう。それが限界に達したのが今回の新型コロナ騒動(食の革命と呼んでもよい)に感じられる。

[写真1]天安門
※本記事は、2021年7月刊行の書籍『21世紀の驚くべき海外旅行II』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。