ところが、ある年を境に、ぴたりと音信が途絶えた。その後、しばらくして、彼の母親から小包が届いた。開けてみると中には一通の長文の手紙と一冊の本が入っていた。

手紙の内容は、N君が闘病生活の末、自分(母)を残して一人で逝ってしまったこと、そして、最愛の我が息子を亡くし途方に暮れていること、そして最後に、生前、息子が先生(私)のことをどれほど尊敬し、憧れの存在としていたか、そしていずれは先生のような歴史の教師になるのだと目標にしていたとのことが綴られていた。

そして文末には、先立たれた直後は何も手につかなかったけれども、“息子の思い”は何としても先生に伝えなければならないと、筆を執ったとのことが記されていた。同送の一冊の本は、彼のこれまでの研究成果が遺稿としてまとめられたものであり、大学の研究室仲間が彼の死を悼んで、彼のこれまでの取り組みを形あるものにしてくれたとのことだった。

私は居ても立っても居られなくなって、差出し先の住所を訪ねた。そこは都心の閑静な住宅街の一角にあるマンションで、彼と母親が二人で過ごしたところだった。

「線香の一本でもあげさせて欲しい」と、インターホン越しに申し出ると、突然の訪問に随分と驚かれた様子であった。しばらくの間をおいて、中に通していただいた。

彼が高校在学中、私は授業の中で、「学問とは何ぞや」「歴史の本質とは……」などと大上段に構えて偉そうに“吹かして”いたものだったが、彼はいつしかそんな“浪花節”の私を優に超え、歴史学という学問を究める道を歩んでいた。

そしてそれは、彼から毎年、手紙で報告される研究成果を見る度に、自身の器の小ささを感じさせるまでに大きく成長していった。それは、かつての師として、頼もしくもあり、また嫉妬心も見え隠れする何とも言えぬ複雑なものであった。

ところで、彼はお分かりの通り、母一人子一人の母子家庭で育った。母親の生きがいのすべてが彼そのものであった。焼香を終えた後、母親に「お母さんの大きな、大きな生きがいが失われてしまいましたね」と言うと、彼女は、張り詰めていたものが堰を切ったかの如く、大きく泣き崩れてしまわれた。

※本記事は、2021年10月刊行の書籍『ザ・学校社会 元都立高校教師が語る学校現場の真実』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。