手は汗でびしょびしょになり、重い玄関の扉を開けてリビングに入ると、案の定、鬼のような形相をした父が待ち構えていた。

「いまどこで何をしていたんだ」

「公園にいただけ……」

「どこのどいつだ! 高校と名前を言いなさい!」

「言いたくない」

父の怒りは頂点へ達していた。

「こんな近所で何をしてる! 雌犬と雄犬がすることは一つなんだ! バカなやつと付き合うからお前までみっともないことするんだ!」

聞き捨てならなかった。これまで言われるがまま、言い返すこともせず耐えるばかりであったが、今回は黙っていられなかった。

「は? ふざけるな!」

これとないほど力強く父を睨む。父から放たれた言葉は一生忘れない。どの口が言えたものか。この男を自分の親だと思いたくないくらい軽蔑した。父は私が離婚の理由を知らないとでも思っているのだろうか。

睨み続けていると父の拳が素早く私の左頬に向かって飛んできた。咄嗟に避けたが耳の後ろあたりに命中してしまう。父は私の顔めがけて殴りかかってきた。

近所の目があるのに、近くの公園でイチャついている娘を恥だと怒ったのだ。父の怒鳴り声が原因で昔から親しくしていた近所の人たちから恐れられ、疎まれていたことは棚に上げている。

実際のところ、大事に可愛がっていた娘が知らない男に取られたことの衝撃を隠せなかったのだろう。それでも言っていいことと悪いことの分別がつくいい大人なのだから、言動には注意してほしかった。私は言われた言葉を決して忘れない。

父との溝は深くなるばかりだった。勉強どころではなくなり、父は帰ってしまった。

「こんな家、すぐに出て行ってやる」

悔し涙でいっぱいの私に母がティッシュ箱を差し出してくれ、涙と鼻水を拭うとすぐに祐介に連絡した。

祐介の部屋にきた私は起きたことをすべて話した。終始、相槌を打ちながら祐介は黙って聞いている。殴られた耳の裏には五百円玉くらいのたんこぶができていた。祐介は氷を袋に詰めて口を閉じ、タオル越しに冷やしてくれた。

「泣いたの?」赤くなった瞼を見ている。

「痛かったね、おいで」

ベッドを背もたれにして床に座る祐介の胸に頭をくっつけた。大きな祐介の手で頭を撫でてもらうのが好きだった。

私は両腕を祐介の腰に回して「別れないよ」と口にした。途端に祐介が離れてしまうのではないかという不安が押し寄せてきた。

分かっていた。私が大学に受かれば東京に行くことになる。こんなにも依存している私がそれに耐えられるはずがないことは明白だった。

私たちはこの話題について避けていた。話したところで納得のいく答えが出るわけではない。

「別れないよ。里奈は安心して美術に打ち込んでね」

言葉にしてもらうと安心できた。それからは会うたびに「別れない」という言葉を言ってもらった。そうでもしないと私の心は二度と立ち直れないほど折れてしまいそうだったから。

※本記事は、2021年10月刊行の書籍『拝啓、母さん父さん』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。