【前回の記事を読む】日本書紀が語る「法隆寺の焼失」…あまりにも不可解な記述とは

第一章 非力のレジスタンス

第一節 猛火の法隆寺

◎疑問3

さらに、火災の後には大雨が降り、雷が鳴ったと記されていますが、雷を「雷震る」と表現し、大袈裟にを使って大地が揺れるほどの雷が鳴ったと強調しています。月明りもない深夜に法隆寺の建物群が全焼し、その後に大雨と大地を揺らすほどの雷が鳴るとはあまりにもドラマチックです。まるで、ホラー映画の冒頭シーンのような(おもむき)さえあります。

この派手な表現は何か特別なことを目論んでいるような印象があり、正史という真面目な歴史書には不似合いです。

◎疑問4

また、一屋も余すことなく燃え尽きたとされる法隆寺ですが、その再建の記録が『日本書紀』にはもちろん、他のどの史料にも残されていません。火災の後、今日に伝わる法隆寺がどのように再建されたのか、その事情を伝える史料は一切存在しないのです。火災については派手に記述しておきながら、『日本書紀』が再建に関して何も触れなかったことは、何を意味するのでしょうか。

実は、法隆寺の大火災に関する天智紀の記述について、間違いではないかとする見方が平安時代には提起されていました。たとえば、法隆寺と(ゆかり)の深い聖徳太子に関する伝記が今日に伝わっていますが、それらの中に右の法隆寺大火災を疑うものがいくつも存在するのです。

いいえ、端的にいえば、天智天皇九年(六七〇)四月三十日夜半過ぎ、法隆寺が一屋も余すことなく燃え尽きたとする天智紀の記述を支持する、あるいは追認する古代の文献は一つとして存在しないのです。

正史であり、古代史研究のバイブル的な存在である『日本書紀』の記述に重大な疑義があることは残念ですが、この法隆寺の大火災記事は今日でも古代史研究に大きな影響を与えているだけに、天智天皇九年(六七〇)四月三十日の夜半過ぎ、本当に法隆寺が一屋も余すことなく燃え尽きたのか、決着をつける必要があります。