【前回の記事を読む】妻として最後の務めを果たせず…「思い切りハグしたかった」

第一章 突然の別れ

博史との再会

午後四時頃、やっと自宅に着くことができた。

博史はまだ帰っていなかった。

葬儀社が、ぎりぎりまで私を待ってくれたうえに、雪道で時間がかかった。にもかかわらず遠回りをして勤務先の大学の前を通ってくださった。義父が大学の事務所に電話してその旨を伝えたので、事務職員の方々が総出で車を迎え、見送ってくださったそうだ。大学の正門、大隈講堂、大隈庭園への道、キャンパスに通じる道……等々、博史が長い年月歩き慣れた道を、ゆっくりお別れしながら、彼を乗せた車は進んだそうである。

玄関に着いた私は「ただいま」と、できるだけしっかりした声を出した。

出迎えた娘と息子は「ママ」と言ったきり、言葉が出ない。

駆け寄ってきたのは、愛犬の凛太郎だった。黒柴犬、十三歳の老犬だが、一カ月ぶりに会う私に一生懸命しっぽを振って膝にしがみついてきた。

「凛ちゃん」

頭を撫でてやると、ますますうれしそうに頭を私の胸に押しつけてくる。心の中で(パパが)とつぶやいて、言葉を続けられなかった。

息子がバゲージを、家の中に引き上げてくれた。

成文堂の社長は、朝十時からずっと家の前の雪かきをしてくださっていたという。義父と先々代社長のときから家族ぐるみのお付き合いをしており、両家そろって毎年のようにスキーに行っていた。博史とは子どもの頃からの知り合いである。

「このたびは……」と言ったきり、社長は言葉を詰まらせ、頭を下げて「私は、外でご到着をお待ちしています」と、出て行かれた。車の待ち番をするというだけでなく、子どもたちと私だけにしてくださるお気遣いだと思った。

家内を見回した。リビングに続く和室は、様変わりしていた。襖や障子、床の間を隠して白布が天井から下がり、擦り切れた畳には白布が敷かれていた。そして、まぶしいほど白いカバーの掛かった布団が、そこに横たわる人を待っていた。見慣れぬ光景。白一色の光景。この世の汚れの見えない部屋。俗とは境界を画している部屋。

ここに博史が横たわるとは思えなかった。まるで冷蔵室みたいに白く冷えている。

もっと温かくしてあげて、と言いそうになって、はっとした。温かくしてはいけないのだ。部屋には、一月の大寒というのに、冷房がかけられていた。冷やしておかなければならないのだ。

寒がりだった博史を思って、かわいそう、という言葉が出そうになり、あわてて、奥歯を噛んでこらえた。子どもの前で、私が崩れてはいけない。

ほどなく、玄関の外に車が止まる音がした。