アングロサクソン系はシステムづくりが上手い

ネイルン教授の主催するラボは当時オーストラリアで最高レベルのものであった。研究室の規模もさることながら、その設備において、仕事を進めるシステムが実によく整えられていた。多くの物品の調達は伝票一枚で済み、検査室のスタッフが各種試薬の準備もしてくれた。写真は写真班、タイプはタイプ室、動物は動物飼育室で管理者が常駐しており、短時日に必要なマウスを調達できた等々である。

私は日本で仕事をしていた時、針、糸、はさみ、ピンセットを机の引き出しに隠し持ち、高校の理科実験室にも及ばないような設備のところで仕事をしてきた。研究が主目的ではない臨床の教室であったので、やむをえないといえばそれまでであるが雲泥の差であった。

しかし、1年を過ぎたころからあることに気付いた。日本にいた時は何もないので考えることが主な仕事でアイデアは湯水のごとく湧き出ていた。しかし、設備がよくシステムが整っている所においてはあまり考えなくなり、いかにそのシステムを使うかという方向に頭が回っていた。私と同世代の日本人にノーベル賞が多いのは日本で考えるという習慣が身に付き、それを忘れないでアメリカなどの素晴らしい環境で仕事を継続した結果であろうと最近思うようになった。

[写真1]ネイルン教授が所属するメルボルンクラブに招待され出席。私は借物衣装でジェニファーをエスコートして出席した。(左)ネイルン教授、(右)ジェニファー。ジェニファーにはミスユニバースに応募したらと勧めたこともあった。

オーストラリアは何故かくも豊かなのか

それにしても1970年初頭のオーストラリアは豊かであった。研究室に使われている機械・器具は全て輸入品で、国産品は見当たらない。試薬類も同様である。町に出ても、郊外に行っても工場らしきものはほとんど見かけない。しかしオーストラリア人はそれなりの豊かさを享受しているようであった。この豊かさはどこから来ているのか。

人間の能力が特に優れているわけではない。当時すでに完全週休2日制で週40時間労働制を完全施行していた。ちなみに、私の日本における状態は週休1日、週80~100時間労働はごく当たり前であった。回答は大陸にあった。オーストラリアは地下資源に恵まれ土地を掘れば良質の鉄・石炭が溢れんばかりに産出されていた。加えて、広大な土地での放牧、農産物と大地の恵みを2000万人の人々が受けていたのである。

日本とは大きな違いである。日本の資源は真面目に良く働く日本人自身である。

現在行われている働き方改革、残業制限、休日の増加など私共の世代から見て、何かおかしい方向に行っている。日本は人という資源しかないことを今の若い世代は再認識すべきである。国を挙げて政府が仕事を減らせと号令を出すなど後世の歴史家はどう判断するだろう。これも豊かな中で育った政治家、社会のオピニオンリーダーの浅知恵としか言いようがない。このままでは日本に将来はない。

※本記事は、2021年9月刊行の書籍『心の赴くままに生きる 自由人として志高く生きた医師の奇跡の記録』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。