教訓

今回の場合、すべての原因は私にあると言われ、カリの空港で降ろされてからの行動はすべて自分で行うことになっても文句は言えない状況でした。たまたま機内放送がスペイン語のみになったことをクレームされ、また、CAたちが私が今以上に困った状況になっても気の毒と判断してくれたため、私は事なきを得ました。

しかしこのようなことは二度と起こさぬよう、その後は直行便以外の飛行機に乗ったときには、あらかじめ私の降りる空港でまだ眠っていたら起こしてくれるよう、CAに頼むこととしました。そのため、このあと二十年以上あちこち飛び回りましたが、同じ寝過ごしは起こしていません。

また最初のスケジュールのメデジン空港へは、事務所から現地人と日本人スタッフが迎えに来ていたとのことで、翌日私が無事にメデジン空港へ到着し、工事事務所へ顔を見せた際、事情を知ったスタッフに大いに笑われ、「出発時に預けた荷物が到着時に出てこないケースはよく聞くが、荷物はちゃんと出てきたのに本人が出てこなかったことはあなたが初めてだ」と言われてしまいました。

もし、あなたが飛行機の着陸後、滑走路から駐機場へ向かっている際に眠くなることが多ければ、前もって起こしてもらうようCAにお願いしましょう。

いったい何の理由で?

これも私が南米コロンビアに赴任中、一時休暇・帰国を取得して、日本へ向かっている最中に起きました。

このときの日本へのルートはメデジン→マイアミ→(イースタン航空)→ロス・アンジェルス(泊)→日本となっていました。実はこのルートは当時有名な「麻薬ルート」でした。そのことが関連しているのかどうかは不明ですが、経緯は以下の通りです。

メデジン空港でチェック・インする際、私は日本からメデジンへ戻る際に、工事で使用している機械のパーツを相当量持ってくるように言われ、個人のスーツ・ケースの他に会社が用意したジュラルミンの大型スーツ・ケースを三個預けましたが、その中には帰国者が日本へのお土産として常に持ち帰るよう頼まれるコロンビア産コーヒーを六十キロ入れていました。

メデジン空港では何事もなく出発し、マイアミ空港へ到着しました。そこではアメリカ国内便に乗り換えてロス・アンジェルスへ向かうため、いったん荷物をすべて受け取り、イースタン航空の国内便カウンターへ行き、荷物を預け、何事もなくスムーズに機中の人となりました。

ことの始まりは順調に飛行しているときでした。あと二時間ほどでロス・アンジェルスという頃にCAが私の席に来て、「済みませんが、あなたのパスポートを見せてくれませんか」と言うのです。私が「何か用でもあるのですか」と尋ねたところ、CAは「ちょっと確認するだけです」と言うので、何の疑いもなく渡しました。

ロス空港へ到着後、パスポートを渡したCAに「私のパスポートを返してくれ」と言ったところ、CAは「あの人が持っています」と男性空港警備員を指さしました。その警備員のところへ行って尋ねたところ、「一緒に来てくれ」と言うので、どこへ行くのかわからないまま彼のあとをついて歩き、途中何度かパスポートを返してくれるよう要求したのですが、一向に返してくれず、そのうちに空港警備員事務所に着いてしまいました。

そこでも私の要求には応ずる気配もないため、ここの責任者を呼ぶように要求しました。かなり激しいやり取り・口論の結果、一時間ほどして責任者が到着したので、「なぜ私をこのような軟禁状態にするのか」と説明を求めたところ、「理由はわからないが、われわれはイースタン航空からあなたを見張るように言われている」との返事でした。

※本記事は、2021年10月刊行の書籍『アテンション・プリーズ』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。