何ヶ所かの検問所を通過し、真夜中になってくると町を過ぎてバスはアンデスの峻険な曲がりくねった道を走る。標高は四千メートルを超えている。バスの車内は暖房しているのにだんだん冷えてくる。高いところを走っているので、雲がバスの下にたなびき、星も上だけでなく横の方向にも見える。月の光が山肌を冷たく照らし、その明るさは夏季なのに冷え冷えとして凄みさえ感じられる。

対向車はまったくなく、険しいアンデスの山道はくねくねと続き、急なカーブで突然前方が見えなくなる。また、道路の片側は切り立った山肌で、その反対側は逆に底も見えないくらい深い谷になっている。

そのうちに、運転手の助手(このバスには二人の運転手と三人の子供の助手が乗車している)が帽子を持って乗客の間を回り出した。何事かと尋ねると、曲がりくねった狭い夜道のために事故が多いので、マリア様に道中の無事をお願いするための賽銭だそうである。ためらわずに助手が差し出す帽子に小銭を放り込んで、思わず無事な旅を祈る。

バスは険しいアンデスの山々を縫って、だんだん低地になり、翌日の朝五時過ぎにキトに近づく。あたりはすっかり明るくなってきた。突然前方の視界が切れて、眼下にすり鉢状の市街地が見えてきた。高いアンデスの山々の間に開かれた狭い盆地に建物が密集し、急な山肌に家々がへばりついている。キトだ。

キトには朝の六時ごろ着いたが、早朝なので、そのままバスの中でしばらく眠らせてもらう。少し眠った後、バスの中でぼんやり座っていると、おもしろい光景に出会った。

バスに勤務していた三人の子供の助手は三~四枚の靴下を重ねてはいており、八時ごろになると十歳ぐらいの女の子がその靴下を取りに来た。また、乗客が全員降りた後、昨夜あれだけ何回も検問所で検査され、多数の品物が押収されたのに、運転手はどこからともなくトイレット・ペイパー四本、下着、石鹸などをバスの中から取り出して街に持っていった。立派‼

後で、街のメルカード(市場)に行くと、バスの連中が検問所で押収されたのと同じ化粧品、靴下、石鹸、薬、下着などが沢山陳列され、売られていた。何らかの形で厳しい検問をすり抜けて、コロンビアから運ばれてきた品々であろう。国家権力でいかに押さえつけても、民衆の知恵と力はこんなにもたくましいものである。

※コントロール・ポイントは、当時の中南米やアフリカ・中近東等で一般的なものであった。バスで旅行中に都市に入るときに、乗客の荷物やパスポートの検査をする場所である。通常は一、二回、多いときは四、五回も検査をされ、夜は眠っていられないくらいである。これは、戦後の日本で、統制経済下で闇物資の流通が取り締まられていたのと同じようなものなのだろうか。

[写真1]コロンビアとエクアドルの国境
[写真2]ボリビアのコチャバンバ(標高2,500m)のメルカード(市場)の食堂