乗り過ごしにご注意

これは私が実際に起こしてしまったことです。

一九八五年から約三年半、私は南米コロンビア共和国メデジン市の郊外で、トンネル建設工事に従事していました。そして海外勤務者への六ヵ月ごとの休暇を取得して日本へ帰国し、二週間後に休暇明けの再赴任のため、成田からニューヨークへ飛び、そこで一泊し、翌日早朝のコロンビア方面行き飛行機に搭乗しました。

その飛行機の最初の予定ルートは、ニューヨークからコロンビアへ入国し、最初にカルタヘナ(市)、そして首都ボゴタ→メデジン市(私が降りるはずの空港)を経由し、最終着陸地はカリ市となっていました。

しかしカルタヘナ市を飛び立ったあと、飛行機の都合で飛行ルートが変更となり、「ボゴタから直接カリ市に向かうことになったので、メデジン市で降りる予定の人はボゴタでメデジン行きの飛行機が待っているので乗り換えてください」とのスペイン語での機内放送がありました。

当時の私は英語圏、インドネシア語圏の工事を五年以上経験し、今回の工事場所は初めてのスペイン語圏のコロンビアでしたが、すでに一年余の経験から、スペイン語はある程度は理解できるようになっていました。

今回のフライトでも出発直後は英語とスペイン語で、コロンビア入国後はスペイン語のみで機内放送が行われていましたが、内容はどれも理解できました。そして本来ならば面倒な乗り換えもせず、メデジンへ直行できたのに、と考えていました。無事夕方の四時頃ボゴタに着陸し、駐機場へ向かう際に他の飛行機との調整のためか、しばらく席に着いたまま待機となりました。

そのときの私は、前日の成田からニューヨークまでのフライトに加え、ニューヨークに一泊した際、そのホテルで火災警報器のトラブルに遭遇し、ほぼ一睡もできなかったこともあり、猛烈な睡魔に襲われ、その後の記憶はありません。

※本記事は、2021年10月刊行の書籍『アテンション・プリーズ』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。