飛行機を降りて入国手続きの列に並ぶ。可能な対策はしてきたものの、入国を拒否されてパナマに帰されるのではないかと、並んでいる間中心臓はドキドキしっぱなしである。しかし、入国係官はコロンビアでの滞在期間を尋ねただけで許可。いろいろな質問をされて、場合によっては入国を拒否されるかと身構えていたがあっさり入国を許可されて、嬉しいやら拍子抜けするやら。

でも今度は税関でリュックを見て入国拒否されるのではないかと再び不安になる。しかし、税関でも何も質問されず、荷物の検査もない。他の人はスーツケースを開けて中身をチェックされているのに、リュックを開けようとすると開けなくてもよいという。

いろいろな人から聞いていたこととは全く異なり、逆にこれまで通過してきた中米の国々で一番楽で簡単な入国だった。やはり「備えあれば憂いなし」で、事前の対策が一番効果的だろう。

◆パナマとパナマ運河

パナマはかつてコロンビアの一部であったが、運河建設とその権益のために、米国がコロンビアから独立させた。そして米国は運河の両側5マイルの永久租借権を獲得したが、1999年末にパナマに返還された。(このため、私が旅行した1973年当時はまだ米国の租借地であった。)

パナマは独立国であるのに、少額硬貨はあるものの自国の紙幣はなくて米ドル札を使用していることでも分かるように、米国の一部のようである。このためか、夜の公園で会ったおじさんは、「米国がカリフォルニアをメキシコから奪い、そしてパナマ運河を奪ってしまった。米国は強い力で小さい国を押さえつけている」と憤慨する。

◆パナマの夜の青年

パナマ市内で夜公園に涼みに行くと20代後半の青年が話しかけてくる。今朝教会に行ったんだとミサの歌を教えてくれる。その後、夜の市内を案内してくれるというので、ノコノコついていく。途中で金を要求されたり、別の数人に囲まれて乱暴されるのではないかと心配しながらついていったが、全くの親切でパナマ市内を案内してくれた。生バンドのディスコ、カジノ、さらに2軒のディスコ。これらの途中ではコーヒーまでおごってくれる。お金を要求されるのではと心配したのは失礼なことだった。

ペンションに着いたのは夜中の1時をすぎていたが、翌日も車でやって来てオールド・パナマを案内してくれると申し出てくれる。実に親切な青年だった。

[写真1]太平洋側の港のバルボアのパナマ運河入口
[写真2]ニカラグアとコスタリカの国境
※本記事は、2021年9月刊行の書籍『国境』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。