【前回の記事を読む】「なんと勇敢なボーイよ!」南米旅行で妙な賞賛、その理由は…

第一章 米・中米・南米の旅

ヒッピーを拒否するコロンビア パナマ(パナマシティ)→コロンビア(メデリン) 一九七三年一月一六日

ところで当初は一月十三日(土)にコロンビア入国の予定であった。しかし、その前日の十二日にパナマ市内を歩いていると年配の婦人がスペイン語で話しかけてきた。それがGさんで、マドリッドで日本人学生に会って彼らがとても親切で魅力的だったので、すっかり日本人びいきになったそうだ。それで、街角で出会ったわれわれを自宅に招待したのだそうだ。

ずうずうしく招待に応じてGさんの自宅に伺うと、小さい子供が四人いるGさんの娘さんがいた。その娘さんは米国に四年滞在していたそうで英語が通じる。夕食をごちそうになる。久しぶりに食事らしい食事を食べ、幸せである。

食後にはGさんのお孫さんたちがいろいろなおもちゃを持ってきて一緒に遊ぶ。おいしい夕食のお礼を言ってGさんの家を辞去するときに、また明日の昼食においでと誘われる。ずうずうしくもコロンビアに出発する予定の翌日十三日の昼食のために再びGさんの家に行く。

しかし、Gさんの家に伺う前にパナマ運河を見に行ったが、その帰りのバスが大幅に遅れたのでGさんの家に着いたのはかなり遅い時間になってしまった。昼食はとてもおいしかったが、食べてすぐに失礼するわけにもいかず、コロンビア行きの飛行機の出発時刻が迫っているのでイライラしながらGさん、娘さん、お孫さんたちとしばらく話す。

Gさんの家を辞去したのは十三時半。飛行機の出発は十四時半である。すぐに宿泊していたペンションにもどり、急いで荷物をまとめ、タクシーで空港へ。空港に着いたのは十四時二十分になってしまった。飛行機のタラップはもう引き上げられていて搭乗はできないという。次のコロンビア便は三日後の十六日だと言われる。

三日後の十六日は先週のように失敗しないように、宿泊していたペンションを早めに出発する。空港には出発二時間前に着いてしまい、飛行機も定刻の五分前に出発した。座席は最後部のスチュワーデス席に、同じような若者の米国人旅行者五人と神妙に座る。約一時間の飛行でコロンビアのメデリン空港に到着する。

いろいろな人からリュックを背負ったジーンズの若者のコロンビア入国の厳しさを指摘されたので、リュックは変えようがないが、ジーパンを新しく買ったスラックスにはき替え、Tシャツではなく比較的きれいなシャツを着、サンダルではなくて靴をちゃんと履き、さらにはパナマの宿でそれまで長くしていた髪を泣く泣く切って、今日のコロンビア入国に備えた。