【前回の記事を読む】外国人にまず教えるべき「サバイバル日本語」とは?

第一章 新グローバルスタンダード「文化」考

地域医療を考える

家庭崩壊、学級崩壊、医療崩壊などの言葉によって象徴されるように最近は組織の崩壊現象が目立つ。崩壊とはそれぞれの機能がスムーズに果たせなくなることである。機能不全の原因は何であろうか。家庭や学級の場合は親父とか教師の権威の低下が思い出される。

医療の場合はどうであろうか。医師は人の命をあずかるという専門技能によって現代においても比較的権威を保ちやすい地位であるとはいえるであろう。ところが、病院の小児科や産婦人科の閉鎖とか救急病院のタライ回しによる患者の死亡とか、医は仁術というよりも、医は算術に成り下がったという批判も聞かれる。

「何が割りの良い仕事か」という発想は医者の世界に限ったことではないが、この発想が医者の専門分野や勤務希望先のアンバランスを生みだしているのだろうか。あるいは医者の数の不足が原因だろうという議論もある。

いずれにしても医療はわれわれの命にかかわることであるから大所高所からの緊急対策が必要である。このように人命を左右する医療対策や制度の改善は喫緊の課題であるが、ここでは自分の住んでいる地域の医療に関して以前から気になっていることを紹介して、医療問題改善の参考に供したい。

私の住んでいるところは茨城県の人口一〇万弱の地域であるが、H、K、Sという三つの総合病院がある。私が気になることとは、総合病院が三つもあるのに、いざとなると多くの人が他県にあるA病院に行ってしまうということである。親戚で右記三病院の一つで看護師として働いているものもいるが、その家族もA病院にかかっている。

われわれ一般市民は「あの医者は腕がいい」とか「あの病院はいい」とかいう風ふう聞ぶんを頼りに行動することが多い。ところが看護師の家族がいざという時に、自分の勤めている病院に行かないとか、市会議員のような町のリーダー的存在の人々が市内の病院に行かないということは、われわれ一般市民の行動と同列に論ずることはできないかもしれない。自分の病院や市内の病院をあまり信用していないのだなという印象を一般の市民に与えてしまうからである。